倒れた。大バビロンが倒れた。

黙示録14・8

 

黙示録14・8

 

また、別の第二の天使が続いて来て、こう言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。怒りを招くみだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませたこの都が。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/天使館/P76

 

 反キリストの先駆者たちの後に、反キリスト自身が到来するだろう。十本の角―サタンを王と信じている十人の従者で、その中の3本(この数を銘記せよ)は捥ぎ取られ、虚無のうちに、すなわちの存在しない、したがって、一切であるの対極にあるである深淵に投げ込まれるであろう―で武装したに象徴される反キリスト的時代は、十一本目の角が誕生し成長し最大の力を発揮するまでに頂点に達するであろうが、三人の先駆者と真の反キリストの本拠の失墜の理由である、十一本目の角は、人の子が誰一人決してしなかったやり方で、を冒涜し、の聖人たちを踏み躙り、キリストの教会を拷問にかけるだろう。悪魔的傲慢と人の淫乱との交接で生まれた子であるがゆえに、『時代と法を変え、偉大なことをなし得る』と信じ込むだろう。そして三年半、世界を支配する恐怖となるだろう。

 

 ついで聖なる人々の『偉大な言葉のざわめき』によってにわき起る大合唱を前にしてが言うだろう、『そこまでだ』と。すると意地悪なは殺され、深淵のなかに投げ捨てられ、それといっしょに、すべての小物の獣たちもそこに放りこまれ、彼らの産出者サタンとともに永遠にそこにとどまるだろう。

 

 そのときわたしは、信仰宣言に言われている通り、『生ける者たちと死せる者たちとを裁く』ために、と呼ばれるであろう。そして『生ける者たち』、恩寵信仰を燃やし続けた人々は、『の国、その権力と壮麗さ』を相続するであろう。霊魂における死者たちは、彼らの意志が受けることを選択した永遠のを受けるだろう。

 

 そしてそこにはもう地球はなく肉の人はいないだろう。そこには、あらゆる苦痛から解き放たれた『の子供たち』しかおらず、最早罪はなく、闇はもうなく、恐れはもうないだろう。ただ、よろこび、よろこび、果てしない、永遠の人間の考えもしないようなよろこびしかないだろう。それはを見るよろこびであり、を所有し、神の思惟と愛を理解するよろこびである。

 

 人々よ、生命のに来なさい。わたしはその水源をあなたたちに開く。そこから汲み、試練において大胆不敵となるために、その中であなたたちを強め、またその中に、至福の水源であるわたしの中に、わたしのがあなたたちのために創造し、そこには唯一なるの三重の愛と、『わたしたちの』純潔があなたたちを待ち、彼らと共に、信仰者であったがゆえにすでに命を得ている者たちが待つすばらしい天国の中に、完全に全身を浸すに至るために」。

 

 

マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/天使館/P94

 

 マリアよ、これからわたしは貴女の手を取り、ヨハネの書のいちばんわかりにくい箇所に案内する。注釈者たちは、この書物のなかの『大バビロン』が誰かを、自分自身に、また誰であれ群集に説明するため、多岐にわたる推論によってその能力を使い果たした。無関係ではなかった人間的見方で熱望された出来事、あるいは降り掛かった出来事によって刻印された衝撃は、多くの物事にバビロンという名前をつけた。

 

 だが彼らはどうして『大バビロン』が地球全体であるとは決して考えなかったのだろうか?もしわたしが、人間の住む世界としての地球しか創らなかったとすれば、わたしはまことに小さな限られた創り主なる神であろう!わたしはわたしの意志の一鼓動をもって無から無数の世界を起こし、それらを光り輝く粉塵のように、無限の天空のなかに投じたのだ。

 

 あなたたちがそこでかくも傲慢で、かくも残忍に振る舞っている地球は、無限の空間のなかで回転している無数の粉塵の一粒にすぎないし、いちばん大粒の粉塵ではない。しかし言うまでもなくいちばん腐敗している粉塵なのだ。澄んだ夜々に、あなたたちの目を楽しませる幾百万の世界に無数の生命が充満し、の完全さがあなたたちに現れるであろう時、あなたたちはふたたびと合体した霊魂の知的視覚をもって、この諸世界の驚異を見ることができるだろう。

 

 地球は、地上と地獄のすべての権力者と姦淫の罪を犯した大淫婦、また地球の住人たちは自分自身、すなわち肉体と霊魂を、地上のたった一日の勝利のために売ったのではないのか?

 

 そうだ、そういう事なのだ。地球とその住人たちが勝ち誇るために同盟を結んだとまったく同じように、地球の犯罪は冒涜の全名称を持っている。七つの罪は、地球と地球人たちをの牧草地に移動させるの頭上の戦慄すべき飾り物のようであり、隠喩的な数字の十本の角は、どんな代価を支払ってでも、その残忍な貪欲さが欲するすべてをせしめようとして成し遂げた無限の極悪非道を証明している。

 

 

マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/天使館/P99

 

 わたしは雑巾、哀れなぼろぎれです。甘美さの中に浸る霊魂しかもっていません。

 イエズスはわたしに書き取らせながら、あのかたが地球というとき、それは塵と水の球体としてではなく、人々の結びつきとしての世界であることをわたしに分からせてくださいました。わたしがうまく説明しているかどうかは、わかりません。あのかたが言う地球とは、道徳的な実在を意味しており、地球と言うとき、それは野原や山や水から成る単なる惑星を意味しているとでも言いましょうか。前者には罪があり、後者には罪がないのです。

 

 殉教者たちの血は、それを涜聖的怒りをもって飲んだ(その住人たちにおいて)、またを畏れぬ地上的権力の濫用をもってそれを撒き散らした(国家権力において)地球に対して毒となったということを、前言に反することなく言えるのは、このためです。一方、エーテル空間の回転物体地球―球体は、殉教者たちの血を尊敬をもって飲み、彼らの断末魔のけいれんを愛をもって迎え入れ、殉教者たちの血が空しく撒き散らされたのではなく、彼らの苦悩がむなしくならず、彼らの正義が認められるようにと求めつつ、母性的な憐憫の情をこめてそれを代わる代わる永遠者に差し出すのです。