大きな鷲の二つの翼

黙示録12・14

 

 

聖母から司祭へ/1989.5.6

 

 わたしの最愛の子らよ、わたしに捧げられたこの五月の初土曜日である今日、あなたたちは、特別にわたしを尊敬しています。

 あなたたちは、天のあなたたちの母といっしょに兄弟愛と祈りのチェナクルムのために集まっています。あなたたちは、わたしの深い苦しみに、なんと大きな慰めを与えることでしょう。あなたたちは、汚れなきわたしの心に、なんと大きな喜びを与えることでしょう。なぜなら、わたしの招きに応えてくれたあなたたちのおかげで、わたしに対する信心は全世界に再び花を咲かせるからです。

 こうしてわたしは、あなたたちのこの時代に、聖三位からわたしに与えられた大きな権能を行使することができます。それは、わたしの敵である赤い龍が「その口から川のような水をわたしのうしろに吐いて、水におぼれさせようとする」(黙示録12・15)その攻撃を無効にするための権能です。

 その川の水とは、すべての新しい神学的な思想の謬説全体を指しています。これらの説は、あなたたちの天の母の姿をくらませて、その特権を否定し、聖母信心を縮小し、わたしに信心を示すすべての人をあざ笑うように努力しました。龍のこれらの攻撃の結果として、最近、わたしに対する信心はたくさんの信者の間で減ってしまい、或る所では完全に消えてしましました。しかし、あなたたちの天の母を助けるために、「大鷲の二つの翼」が与えられたのです(黙示録12・14)。

大鷲とは神のみことばです。特にわたしの子イエズスの福音書に含まれているみことばです。

四福音書の中で鷲は聖ヨハネによる福音書を示しています。なぜなら、聖ヨハネは他の三人よりも高くとび、聖三位一体の真髄にまで入りこんで、みことばの神性と永遠性がおん父と同じ本性であることを示し、イエズス・キリストの神性を力づよく断言しているからです。

 鷲の二つの翼とは何でしょう―それは、信仰によって受け入れられ、愛され、守られる神のみことばです。すなわち、恵みと愛徳をもって生活に移された神のみことばです。

 信仰と愛徳との二つの翼、すなわち、わたしが受け入れ、生きてきた神のみことばのおかげで、わたしに対してなされるすべての攻撃の水の川の上に、わたしは飛ぶことができたのです。

 わたしのまことの偉大さを世に示したからです。

 それから、わたしは、「荒野に逃れた」のです(黙示録12・6)。

 わたしが自分のかり住いを定めたこの荒野とは、わたしを歓迎し、わたしのことばに耳をかし、完全にわたしに信頼し、わたしの汚れなき心に自分を奉献するすべての子らの心と魂のことです。

 わたしが今いるこの荒野の中で、今日わたしの最も大きな不思議を行います。この不思議をわたしのすべての小さな子らの心と魂の中、つまり、かれらの生活の中に行います。こうして、神のみことばを受け入れ、愛し、守るようにはげまし、いつも、ことばと行いのうちに、勇気をもってそのみことばを生きるように助け、信仰と愛の道をわたしのあとについてくるように導くのです。

 わたしが、沈黙とかくれた生活の中、つまり、わたしが住いとしている荒野の中で、わたしに奉献された子らが、今、福音を信じ、福音の知恵の導きにのみ従い、常に生きた福音となるように、わたしは力づよく働きかけます。わたしが、司祭のマリア運動をもって、全世界に養成してきた軍団のために準備された役割はこれです。すなわち、この時代において、神のみことばだけを愛をもって受け入れ、これを実行し、大鷲の二つの翼、つまり信仰と愛の翼に乗って、わたしといっしょに飛ぶことです。

 わたしが住いとしている荒野の中で、こん日行う数々の大きな不思議は、わたしの小さな子らの生活を完全に変化させるという不思議です。それは、かれらが勇敢な信仰のあかし人として、聖徳の輝かしい模範となるためです。

 こうして、沈黙とかくれた生活のうちに、わたしは、毎日、龍に対するわたしの大勝利を準備します。それは世界におけるわたしの汚れなき心の大勝利です。