黙示録第10

 

 

黙示録10・1−4

 

わたしはまた、もう一人の力強い天使が、雲を身にまとい、天から降って来るのを見た。頭には虹をいただき、顔は太陽のようで、足は火の柱のようであり、手には開いた小さな巻物を持っていた。そして、右足で海を、左足で地を踏まえて、獅子がほえるような大声で叫んだ。天使が叫んだとき、七つの雷がそれぞれの声で語った。七つの雷が語ったとき、わたしは書き留めようとした。すると、天から声があって、「七つの雷が語ったことは秘めておけ。それを書き留めてはいけない」と言うのが聞こえた。

 

 

 

黙示録10・5−7

 

すると、海と地の上に立つのをわたしが見たあの天使が、

右手を天に上げ、世々限りなく生きておられる方にかけて誓った。

すなわち、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方にかけてこう誓った。「もはや時がない。第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。それは、神が御自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。」

 

 

 

黙示録10・8−11

 

すると、天から聞こえたあの声が、再びわたしに語りかけて、こう言った。「さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ。」そこで、天使のところへ行き、「その小さな巻物をください」と言った。すると、天使はわたしに言った。「受け取って、食べてしまえ。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。」 わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった。すると、わたしにこう語りかける声が聞こえた。「あなたは、多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならない。」

 

 

 

啓示による黙示録解説P564

霊的意義

 

全章の内容

 

改革派教会内にいる者たちを点検し、明らかにすることが依然取り扱われており、ここでは、主御自身が教えられたように(マタイ28・18)、主が天と地の神であられることについて彼らの信じていることが取り扱われ、その人間的なものは神的なものであるものの、それはそこでは受け入れられず、信仰のみによる義認の教理が彼らの心の中に根を張っている限り、それは容易に彼らからは受け入れられないことが取り扱われている。

 

 

 

各節の内容

 

黙示録10・1

『私は他の一人の力ある天使が天から降って来るのを見た』は、神的な尊厳と力とにおける主を意味している(465番)。『雲に取り囲まれて、虹がその頭の上に在った』は、主の神的な自然的なものと神的な霊的なものとを意味している(466番)。 『その顔は陽のようであった』は、神的な愛と同時に神的な知恵を意味している(467番)。 『その足は火の柱のようであった』は、凡ゆる物を支えているところの、神的な知恵の方面の主の神的な自然的なものを意味している(468番)。

 

 

 

黙示録10・2

『彼は手に開いた小さな書物を持っていた』は、主は天と地との神であられ、その人間的なものは神的なものであるという、聖言における教義的な要点の方面の聖言を意味している(469番)。『彼はその右足を海に、その左足を地に置き』は、主は全教会をその庇護と主権の下に置かれていることを意味している(470番)。

 

 

 

黙示録10・3

『彼が叫ぶと、七つの雷がその声を立てた』は、主はその小さな書物の中に在ることを全天界に遍く明示されるであろうことを意味している(472番)。

 

 

 

黙示録10・4

『その七つの雷がその声を立てた時、私は書こうとした。すると私は天から一つの声が、私に言うのを聞いた、その七つの雷の語ったことは封じて、記してはなりませんと』は、これらの事柄は実際明らかにされはするが、しかしそれらは、竜、獣、偽予言者により意味されている者らが霊たちの世界から放逐されない中は受け入れられはしない、なぜならもしそれらがその者らが放逐されない中に万が一受け入れられるなら、危険が起るからである、を意味している(473番)。

 

 

 

黙示録10・5

『私が海と地とに立っているのを見たその天使は手を天に上げて(6節)、代々生きておられる方により誓った』は、主御自身が主について立証し、証言されたことを意味している(474番)。 『天とその中に在る物を、地とその中に在る物を創造された方』は、天界の中に存在し、教会の中に存在している凡ての物を生かし、また天界と教会における一切の物を生かされる方を意味している(475番)。 『時は長くはない』は、一人の神が承認され、主がその神であられることが承認されなくては、教会のいかような状態も、またいかような教会も在り得ないことを意味している(476番)。

 

 

 

黙示録10・7

『しかしその第七の天使の声の日に、彼がまさに鳴らそうとする時』は、新しい教会が主によって設立されない限り、死滅しなくてはならない教会の状態を最終的に点検し、明示することを意味している(477番)。 『神がその僕たちの予言者に言明されたように、神の秘義は成就されるであろう』は、最後の審判が教会を荒廃させた者らの上に行われた後、主の王国が来ることは旧、新約聖書の聖言に予告されてはいるものの、これまで隠されていたことがその時明らかになるであろう、を意味している(478番)。

 

 

 

黙示録10・8

『私が天から聞いたその声は再び私に語って、言った、海と地の上に立っているその天使の手の中に在って開かれているその小さな書物を取りなさい』は、彼らはその教義を容認しなくてはならないが、しかしそれは『竜』と『獣』と『偽予言者』により意味されている者らが除かれない中は、教会内でいかように受け入れられるかをヨハネは明らかにしなくてはならないという天界からの命令を意味している(479番)。

 

 

黙示録10・9

『で、私はその天使のもとへ行って、彼に言った、私にその小さな書物をくださいと』は、その教義を受けようとする、多くの者の心の動きを意味している(480番)。 『すると彼は言った、それを取って食べてしまいなさい、それはあなたの腹を苦くするでしょう、しかしあなたの口にはそれは蜜のように甘いでしょう』は、主は救い主であられ、贖い主であられることを承認して受け入れることは有り難く、快いことではあるが、しかし主のみが天と地の神であられて、その人間的なものは神的なものであることを承認することは、誤謬化のために、不快であり、また困難であることを意味している(481番)。

 

 

黙示録10・10

『私はその天使の手からその小さな書物を取って、それを食べてしまった。それは口の中では蜜のように甘かった。が、私がそれを食べてしまうと、私の腹は苦くなった』は、それがそのように起るようになって、明らかにされたことを意味している(482番)。 

 

 

黙示録10・11

『彼は私に言った、あなたは再び多くの民、国民、舌〔言語〕、王の前に予言しなくてはならない』は、そのようであるため、信仰のみの中にいる者らの性質が更に示されなくてはならないことを意味している(483番)。