もぐら

1.聖書

2.スウェーデンボルグ 

3.ヴァッスーラ

 

 

1.聖書

 

イザヤ2・20

 

その日には、だれもがひれ伏すために造った銀の偶像と金の偶像をもぐらやこうもりに投げ与える。

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

啓示による黙示録解説566

 

そのとき彼らは見上げると、天界は彼らには血のように、後には暗闇のように現れ、彼らは天使的な霊たちの眼前には在る者はふくろのように、或る者はもぐらのように、或る者はみみずくのように見え、彼らは彼らの暗黒へ向って逃げ去ったのである、なぜなら彼らの暗黒は彼らの目には迷妄の輝きを発していたからである。

 

 

啓示による黙示録解説611

 

すなわち、理解が宗教により閉じられると、それはもぐらのように全く盲目となり、その中にはただ暗闇のみが在り、実に霊的な光をことごとくそれ自身から斥けてしまって、その霊的な光が主から、また天界から流入してくるのに対抗して、信仰的な事柄では、合理的な部分の遥か下に在る感覚的な形体的な部分の中にその流入に対し障壁を打ち立て、すなわち、それを鼻の近くにおき、その鼻の軟骨の中に固くすえて、そのため彼らはその後では霊的な事柄を匂ぐことさえもできなくなり、そのため或る者は霊的な物から匂いをかぐのみで気絶してしまうほどにもなっているといった暗黒が在るのです。匂いによりわたしは認識を意味しています。これらが神を三神とする者らです。彼らは実際本質から、神は一人であるとは言ってはいますが、しかしそれでも彼らの信仰から、すなわち、「父なる神は御子のために慈悲を抱かれて、聖霊をつかわされる」というその信仰から祈るときは、明らかに三人の神を作っているのです。彼らはそうしないわけにはいかないのです、なぜなら彼らは一人の者に向って他の一人の者のゆえに慈悲を持たれて、第三の者をつかわされるようにと祈っているからです。』それからその教師は主について、主は一人の神であられ、主の中に神的三一性が在ることをかれらに教えたのである。

 

 

3.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・9巻P185

‘98・8・12

 

私は見た。見ている私は 国たみの前であなたを露にする・・・・そのやからの偽りの筆をもって、我が掟と聖体の制定を どれほど曲げているかを見よ! それでもまだ:「キリストは見ているはずがない」と言えるか? 「私は見えている」と言うあなたが、救い主も 与えた嗣業も見えなく 気づかないのはどうしてか? モグラでさえ自分の穴ぐらを見分け あなた自身よりもよく見えている。

来て 悔い改めなさい、それともあなたには悔悛の能力がないのか? 眼から涙を溢れさせて 悔い改めなさい。来て 心から悔い改めなさい そうするならそっと正し その行いをすべて赦そう。

 

我が聖霊を悲しませるのはもうやめなさい。 私はうぬぼれと傲慢を忌み嫌う、しかし悔い改めるなら 怖がることはない。見よ? 贖い主が手を差しのべている。あなたに司祭職を与え 王的衣装を着せて、その群れを牧するようにと権威の紋章を授けた聖なる者は 父親が息子を諭すように今こう言っている:「野獣の領地からは、我が息子よ、何も嗣がない、しかし私、あなたの主からは、永遠のいのちを得よう:私があなたの分け前 嗣ぐべきもの。」