天界の秘義2868

 

男たちが女中または妾から子供を生むことが当時寛大に扱われたのは教会の外にいる者たちが、またさらに低い度をもって教会の中にいる者たちがそのことにより表象されるためであったのである。

 

 

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前の時代では、天的な者も霊的な者も結婚により表象されるために、妻の他に妾を持つことが男に許されたのであり、このような妾は妻により夫に与えられて、そのとき彼女はかれの『女』と呼ばれ、または『女としてかれに与えられた』と言われたのである、例えばエジプト人ハガルがサラによりアブラハムに与えられたときがそうであり(創世記16・3)、下婢のビルハがラケルによりヤコブに与えられ(創世記30・4)、下婢のジルパがレアによりヤコブに与えられたときがそうである(創世記30・9)。

 

 

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アブラハムとヤコブの場合のみでなく、またその子孫の場合でも、例えばギデオン(士師記8・31)サウロ(サム後3・7)ダビデ(サム後5・13、15・16)、ソロモン(列王記前11・3)の場合のように、かの古代人は妻の他に妾を得たことは、表象のために、すなわち、妻により天的な教会を、妾により霊的な教会を表象するために、許されたのである、こうしたことが許されたのはかれらは何ら結婚愛を持っていない底のものであり、かれらには結婚も結婚ではなくて、単に子孫を得るために、肉の結合に過ぎなかったためである。こうした者はそれを許されても、それは結婚愛を、従って、その契約を害いはしないのであるが、しかし善と真理との中にいて、内なる人であり、または内なる人になることができる者たちにはそれは決して許されはしないのである、なぜなら人間は善と真理との中におり、内なるものの中にいるとすぐに、そのようなことは止んでしまうからである。そうした理由から基督教徒には妻とともに妾を得ることは、ユダヤ人に許されたようには、許されてはいないのである、なぜならこれは姦淫であるからである。霊的な者は主の神的な人間的なものにより子とされたことはその同じ主題について前に述べもし、また示しもしたことから認めることができよう(2661、2716、2833、2834番)。