帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない

マタイ10・9

 

 

マタイ10・9−15

 

帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。はっきり言っておく、裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。

 

 

天界の秘義4677[8]

 

 神的善から発している神的真理はただ一つのものであるため、十二人の弟子たちは王国の福音を宣べつたえるためにつかわされたときは、二枚の肌着をもってはならないと命じられたのである、例えばルカ伝には―

 

 イエスは神の国[神の王国]を宣べつたえるために十二人の弟子たちをつかわされた、かれはかれらに言われた、道[旅]のために何も取ってはならない、杖も、袋も、パンも、銀も取ってはならない、各々二枚の肌着も持ってはならない(ルカ9・2、3)。

 

またマルコ伝には―

 

 かれはかれらに、道[旅]のためにはただ一本の杖のほかには何もとってはならない、袋も、パンも、帯の中に銅銭も持ってはならない、ただくつをはいて、二枚の肌着も着てはならないと命じられた(マルコ6・8、9)。

 

またマタイ伝には―

 

 道[旅]のためには金も、銀も、帯のたかに銅銭も、袋も持ってはならない、二枚の肌着も、くつも、棒も持ってはならない(マタイ10・9、10)。

 

 

天界の秘義4677[9]

 

 この中の個々のものはすべて、弟子たちが宣べつたえるために派遣された主の王国の天的な事柄と霊的な事柄を表象しているのである。かれらが手元に金も、銀も、銅銭も、袋も、パンも持ってはならなかったことは、これらの物は主のみから発している諸善と諸真理とを意味したからであった、すなわち、『金』は善を(113、1551、1552番)、『銀』は善から発した真理を(1551、2954番)、『銅』は自然的な善を(425、1551番)、『パン』は愛の善を、または天的な善を意味しているのである(276、680、2165、2177、3478、3735、4211、4217)。しかし『肌着』と『くつ』はかれらが着ていた諸真理を意味し、『杖』は善から発した真理の力を意味したのである。(『杖』はこの力であることは前の4013、4015番に見ることができ、『くつ』は最低の自然的なものであることは1748番に見ることができ、ここではその真理の方面の最低の自然的なものである)。『肌着』は内的な自然的な真理であり、これらのものは二重のものであってはならず、単一のものであるでなくてはならないため、二本の杖も、二足のくつも、または二枚の肌着を持つことが禁じられたのである。これらのアルカナが主のこの命令の中に含まれていて、そのことは内意からでなくては到底知られることはできないのである。

 

 

 

天界の秘義9942

 

自己から発しているもの

 

 

黙示録講解242

 

主のみから得なくてはならない