共贖者

 

1.マリア・ワルトルタ

2.聖母から司祭へ

3.ルイザ・ピッカレータ

 

 

 

 

1.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P346

 

イエズス:「母は、私と同じ贖い主ですから知っています。母を見て、倣いなさい」

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/5巻下P11/346・3

 

 イエズスは、皆が話すのを聞いていて、言う、「皆、よく言ってくれました。シモン・ぺトロの言うとおり、人は彼女を『マリア』だから愛する。カイザリアへの途上で、あなたたちに言いました。完全なる信仰を完全なる愛に結びつけた者だけが、次の言葉、すなわち『イエズス・キリスト、御言葉、神の子、人の子』の本当の意味を知るのだと。しかし今、もう一つ含みのある名を言う。それは、私の母の名前です。完全な信仰を完全なる愛と一つにした者だけが『マリア』、神の子の母なる名前の本当の意味が理解できる。その本当の意味が真の信仰者、真の愛を知る者に明らかになるのは、苦難の時、産みの母が、その子と苦難を共にする時、母なる救済者救済者と共に全世界の目の前で未来永劫に人類を救済する時です」。

 

 

 

 

2.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1980.7.13

 

私は、私のおん子のあがないのみ業に協力するあなたがたの、完全なもはんとなっています。

私は、イエズスの母です。だからこそ、イエズスのあがないに親密にむすばれたのです。

私のおん子は、あなたがたのために亡くなられるご受難の偉大な苦しみのすべてに、母を完全に結びつけようとお望みになりました。私が、十字架のもとに立ったことじしん、それを示しています。

十字架は、イエズスの死刑台となりました。そして、私の汚れなき心の苦しみは、祭壇のようになりました。この祭壇の上にこそ、私のおん子は、おん父に、新しい永遠の契約のいけにえをおささげになったのです。

 私は教会の母です。そのためにこそ、あがないの完成に親密に協力するようにと、イエズスにきめられたのです。

 あがないの完成は、歴史の流れのなかに実現していきます。

 私がその協力者に召されたのは、この救いを受けられる可能性を、すべての人に与えるためです。

 こうして救われる人の数が多ければ、それだけ神的愛の傑作である[救いのみ業]が実現されることになります。

 私の母としての役目は、私の子らがみんな救われるように、あらゆる手段を使って助けることです。そうです、私の役目は、こんにちでも、やはり、わたしのおん子イエズスのあがないにひじょうに独特な方法で協力することです。やがて、まことの母としての、またあがないの協力者としての、私の役目は、すべての人に明らかになるでしょう。

 

 

 

聖母から司祭へ1984.7.5

 

 イエズスが、司祭として、いけにえとして、ご自分のたえざる奉献をされるすべての瞬間に、そこにわたしは共にいました。(中略)

 そのいけにえのすべての瞬間に、イエズスは、ご自分の苦しみと奉献のうちに、母であるわたしをおかれたのです。このために、わたしは、イエズスのあがないのみ業の協力者として、まことにあがないに参与するもの(共贖者)となったのです。(中略)

 あなたがたの一日じゅうのどんな時にも、わたしは、あなたがたのそばにいます。

 

 

 

聖母から司祭へ1986.9.15

 

 このことについてわたしは、おん子のすべての苦しみに完全に協力して、あなたたちの手本とも模範ともなったのです。

 このわたしの母としての苦しみをもって、わたしは、おん子のみ業に対する第一の協力者となりました。

 わたしはイエズスとともに本当にあがなう者となったので、主に自分の苦しみを捧げることで、あなたたちの模範になることができます。すべての人に善と救いの道を歩む助けを与えるためです。

 この理由で、清めの血まみれのこの時期に、わたしの母としての役目は、まず第一に、あなたたちを苦しみになれさせることにあります。それで、あなたたちのそばにいて、あなたたちが自分のすべての苦しみを、愛の完全なおくりものとするようにと、はげましているのです。

 それでわたしは、従順と柔和、心のけんそんへとあなたたちを養成します。

 

 

 

聖母から司祭へ1989.3.24

 

わたしは、今日、母として十字架のもとにたち合って、イエズスが十字架にとどまるように助けてあげねばならないのです。それは神のみ旨がまっとうされ、あなたたちが、イエズスによってあがなわれ、救われることができるためです。

 

 

 

 

3.ルイザ・ピッカレータ

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/2巻P173

 

1899年10月24日

 

「自分が苦しくとも、愛はもっと思い鞭を与えようとする。人間が自分の存在が何かを理解し、駄目になった自分を反省するには、これ以上強力な方法がないから。私の正義に同意しなさい。私のことを愛していればこそ反対し、私の苦しむのを見たくないのも分かっています。

 私の母はどんな人間よりも私を愛してくれました。母は何とも比べようがない。それでも霊魂たちを救うために正義に同意し、私がこんなに苦しむのに甘んじた。もし私の母にできたのだから、あなたにもできるでしょう。」