教令

 

 

天界の秘義8013〔2〕

 

『信仰と仁慈との教令に従った』と言われているのは(以下の)相違のためである、なぜなら再生以前では生活〔生命〕は信仰の教令に従っているが、しかし再生後では仁慈の教令に従っているからである。再生以前ではたれ一人仁慈の何であるかを情愛からは知ってはいないで、単に教義のみから知っており、その時はその人間は信仰の教令〔教え〕と呼ばれる教義の教令〔教え〕から生きているが、しかし再生以後では仁慈の何であるかを情愛から知るのである、なぜならその時彼はその隣人を愛し、心からその者に善を欲し、またその時は彼の上に記されている律法に従って生きるからである、なぜなら彼は仁慈の情愛から行動するからである。この状態はその前の状態からは全く異なっているのである。最初の状態の中にいる者たちは信仰の諸真理と諸善とについては明確ではないが、後の状態の中にいる者たちは相対的には明確である。後の者は〔天界の光〕に明るくされて、真理を認め、それを確認するが、前の者は(天界の光に)明るくされてそこから真理を認めはしないし、またそれを確認もしないのであり、それはただ教会の教えは真理であるという確信〔自己説得〕から発しているに過ぎないのである。そして彼らは(天界の光に)明るくされてそこからそれを認めていないため、誤謬を真理と同じように確認することも出来、そしてその誤謬が確認されると、それを正に真理そのものとして認めるのである。この凡てから信仰の教令に従って生きることにより意味されていることと仁慈の教令に従って生きることにより意味されていることを認めることが出来よう。