教皇
1.ヴァッスーラ
2.聖母から司祭へ
3.教皇フランシスコ
1.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P183
‘91・8・30
限りなく慈悲深い主よ、「自分たちの好きなほうへ行く。」と言う人をあなたのもとに立ち帰らせて下さい。そして「自分たちの好きなほうに行く。」と教皇に向って言うキリスト教徒も立ち帰り、教皇に従いますように。人間的な誇りの視線が低くされ、その横柄さも謙虚な姿勢へと変えられますように。アーメン。
2.聖母から司祭へ
聖母から司祭へ1973.7.16
私は教皇と、教皇に一致している教会への深い愛へと彼らを養成し、福音の英雄的な証となるよう準備します。彼らの中の幾人かは、血を流すほどの証をたてるでしょう。
聖母から司祭へ1973.10.30
教会の中で、私の運動の司祭たちは、教皇の友、慰め手、守り手であってほしいのです。
聖母から司祭へ1973.11.1
教皇と、教皇に一致している教会に忠実であること
教皇の命じることに全く従順であることによって、その望みを見越して支持し、その教えを広め、あらゆる攻撃から彼を守り、常に教皇と一致しているため、また福音に忠実であるためには、血を流すほど戦う覚悟ができていること。
教皇と一致している人だけが、わが子への信仰を守りおおせ、果てしなく広がった大背教から救われる時がもう直ぐ来ます。
聖母から司祭へ1974.9.16
ああ、子どもたち! 今は私の教会にとって最大の混乱の時です。教皇は語り、確実に信仰の道を示しますが、孤立させられていて、ほとんどの人はそのことばを聴こうとしません。
今、偽予言者も語っています。彼らは福音を裏切るようなことを述べ伝えています。そして彼らのことばには耳を傾け、従う人があるのです! それで私の教会の最も忠実な子らの中にも、紛争と混乱を生じています。
私に奉献された司祭たち、教皇と共に強い防壁を築いてください。彼を孤立させないでください。わが子と私の教会を守るために、教皇と共に最後の一線、最果ての塹壕となってください。
私はあなたがたと共に、“最後の一線”にいます。ですからここから先は通れません。そして、ここから私の大勝利のための戦闘を開始します!
聖母から司祭へ1975.1.4
そして私の声は、あなたがたにやさしく繰り返すことでしょう、教皇と教皇に一致している教会の告げる教えだけを。私の声と教皇の声に対しての忠実さ! 私によってととのえられた大群は、教皇を守り、誰にも耳を傾けられていないその教えを広め、彼の孤独、皆に見捨てられているその心を慰めるものであるでしょう。
迫害されることもあることでしょう。あなたがたが、燃えている唯一の光となる時期が来、こうして福音に対する忠実さのうちに、また苦しみのうちに、数えきれないほど多くの霊魂に救いの道を示すことができるでしょう。あなたがたのこの光は、私の取り次ぎによって、決して消えることがありません。
聖母から司祭へ1975.11.9
私の汚れなき心に捧げられた司祭たちよ、あなたがたは教皇の心に一番近いものでありますように。
教皇のために祈り、教皇と共に苦しみ、いつも教皇といっしょにいてください! 教皇に聞き、彼の指示に従ってください。無視された教皇の教えを普及させてください。
最も深い暗夜の時に彼は唯一の光となるでしょう。あなたがたは、私に導かれて、暗闇につつまれている全世界に、この唯一の光を輝きわたらせるでしょう。
聖母から司祭へ1976.2.11
私の汚れなき心に奉献された子らよ、私が天から降ったわけは、地上であなたがたの心を、私の天国とするためです。私の光をあなたがたの中に反映しています。こうして多くの人の心があなたがたを通して、私の純潔にひかれ、私のこの徳の香りをまき散らすでしょう。
教皇は、この道徳的復興の指示を与えました。
彼にきいて彼を擁し、彼を慰めてください。
最近、教皇の人格に対する侮辱やますます増大する不義は、母なる私の心を悲しませます。この泥沼は彼の足元まで押し寄せて来ました。しかしあなたがたは、この天使的牧者、地上における甘美なキリストの足下に防波堤を築かねばなりません。
私の特別な干渉とあなたがたを通して、悪魔が教皇に対して起したこの反乱と泥沼の波は、教皇の足元にとどまるでしょう。
こうして教皇の偉大さと汚されぬ純潔が、すべての人に現わされるでしょう。
聖母から司祭へ1992.5.13
どうか、あなたたちが、福音を文字どおりに生き、また、教皇との完全な一致のうちに生涯を貫くようにと招きます。教皇は、信仰の真理のうちに教会を守る使命を持っているのです。
聖母から司祭へ1996.2.22
イエズスは、ペトロに、教会の土台となり、その真理のすべてを保護する役割りを与えられました。
3.教皇フランシスコ
カトリック新聞2013.6.9
教会が偉大な家族だと語った教皇(フランシスコ)は次のように話した。
「確かに、教会には人間的な側面があり、それは教会を構成する司牧者と信者によっています。誰にも欠点や不完全さ、罪があります。教皇にもそれらがあります。しかもたくさんあります。けれども素晴らしいことに、私たちは自分たちが罪人であることに気付くとき、神のいつくしみを見出すのです。神はいつも私たちをゆるしてくださいます。このことを忘れてはいけません。神は常にゆるしてくださるのです。」