聖体拝領・・・教会的集いの中心

 

 

 

1.聖母から司祭へ

2.ヴァッスーラ

3.トマス・ア・ケンピス

4.マリア・ワルトルタ

5.ブリージ・マッケナ

6.教会の生命

 

 

 

 

1.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1979.6.14

 

 しかし、イエズスは天国におられるように、地上にも、ご聖体のなかで、おんからだもおん血も、ご霊魂も、神性もともに、そこにおられます。それで、イエズスの光栄にみちたみ国は、ご聖体のなかにおられる、かれの勝利によって輝くでしょう。なぜなら、ご聖体は、ふたたび教会の全生活において、その真髄とも中心ともなるからです。

 ご聖体のイエズスは、私たちすべての祈りの頂点となるでしょう。その祈りは、礼拝と感謝、賛美と取つぎの祈りでなければなりません。

  ご聖体のイエズスは、全典礼行為の中心となるでしょう。またキリストの永遠の司祭職が、ご聖体の奥義において具体化したこの典礼行為は、そのキリストの司祭職を通して三位一体への賛美歌のようになるでしょう。

 ご聖体のイエズスは、ふたたび、あなたがたの教会的集いの中心となるでしょう。なぜなら、かれの神殿である聖堂は、とくにかれの神としての現存が、あなたがたの間に輝くことができるように、つくられたその家だからです。

 

 

 

聖母から司祭へ1991.2.26

 

ご聖体が、あなたたちの祈りと生活、表敬と教会的集いの中心となりますように。

 

 

 

2.ヴァッスーラ

 

 

神のうちの真のいのちX・][

 

御聖体が教会のいのちとなっていたがゆえ。―今日の教会に光彩がないとすれば、我が教会の多くが永遠の生けにえを廃止したからです。

 

 

 

3.トマス・ア・ケンピス

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/4・5・2

 

 見よ、あなたが司祭とされ、聖別されたのは、ミサを行うためである。

 

 

 

4.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/復活/P190

 

イエズス:

キリストは人々のために、この世界を離れる前に多くの奇跡を行い、人々のために死に至るまで人間を愛した後、さらにもう一つのある奇跡を行った。それは、私の体と私の血である。それを私の記念として行い、宗教生活の基盤とするように、私の代々の後継者にそれを行うようにと命じてある。

 

 

 

5.ブリージ・マッケナ

 

 

ブリージ・マッケナ/「祈り―恵みの泉―」P190

 

私は司祭たちに、イエスを私たちの祭壇に連れてくることは、彼らの出来る一番美しいことですと言います。(中略)マリアのように、彼はイエスを生むのだということを自覚しなければなりません。彼が私たちにイエスをもたらすことの出来る唯一の道は、御聖体をとおしてです。

 

 

 

6.教会の生命

 

 

ヴァッスーラ/あなたは預言を無視しますか/P149

 

ヴァッスーラ:

 

私たちにふりかかる懲罰は、私たちが呼び寄せたものです。神は懲罰をお好みにはなりません。私たちが、神の義を挑発しているのです。神は愛と慈悲の神であると同時に、義の神でもあることを忘れるべきではありません。時の終りは、世界の終末を意味しているわけではありません。そうではなくて、私たちを誘惑する自由がサタンに与えられている時代の終りのことです。この時の終りの時代に、イエスは聖書のダニエルの預言書の封印を解いて、明らかになさいます。というのも、それは現在起きていることだからです。そればかりか、黙示録のいくつかの章の封印もお切りになりました。ダニエルとエゼキエルの預言書と黙示録には一致する点があります。ダニエルの預言書の獣―敵である獣―は、黙示録の13章にも見られますが、現在ではイエス・キリストの教会を破壊し、とりわけ聖体拝領を廃止して、イエスは単なる預言者、賢人にしようともくろんでいる棄教者と反逆者を意味しているといえそうです。イエスはいつか私に、地上での御自分の王国は教会であり、聖体拝領は教会の生命だとおっしゃいました。イエスが三位一体の第二のペルソナであることをもはや認めないことで、これらの棄教者たちは、イエスの神性を迫害しています。彼らはイエスが神の御独り子だということ、神御自身であることを否定し、イエスの復活を否定して、それは単なる象徴的なものにすぎないと見なしています。イエスは私たちに、時の終りの時代である今、反逆は始まっているが密かに行われていて、それを制止する者は、反逆が公然と明らかになる前には、身を引いているべきだとおっしゃっています。反逆を制止する者とは、教皇のことだそうです。イエスは私たちに、毅然として、教えられてきた伝承を守るようにおっしゃってます。

 

 

 

 

神のうちの真のいのちX・][

 

御聖体が教会のいのちとなっていたがゆえ。―今日の教会に光彩がないとすれば、我が教会の多くが永遠の生けにえを廃止したからです。