悪と誤謬に対して抱かれる恐怖

 

 

聖い恐れ

 

 

 

 

天界の秘義1740

 

「ソドムの王が言った」。これは征服された悪と誤謬を意味していることは『ソドム』の意義から明白であり、それは本章で前に示したように、悪と誤謬である。前に(17節に)ソドムの王がアブラムに会うために出て行ったと言われているが、そのことにより悪と誤謬とが服従したことが意味されていて今やそれらが懇願者となっていることが附加されているのである。

 

 

 

天界の秘義1740[2]

 

悪と誤謬とが征服されたこと、または悪と誤謬とがいくたの試練の争闘により征服されること、そのことにより善と真理とが着けられることは、悪と誤謬とがそれにとって代わり、その後その善と真理とは益々確認され、かくして強められるのである。なぜなら悪と誤謬とがかき立てられるのは悪霊どもによっており、それらがかき立てられると、それらは明らかになってくるからである。試練の争闘が長く継続すればする程、悪と誤謬とは益々明白になり、ついにはそれらは憎悪されるようになるのである。

 

 

 

天界の秘義1740[3]

 

そして悪と誤謬とが消散されるにつれ、善と真理とがそれにとって代わり、悪と誤謬に対して抱かれる恐怖が大きなものであればあるほど、善と真理とに対する愛が益々多く主により注ぎ込まれるのである。さらに、悪と誤謬とに対する恐怖が大きなものであればあるほど、悪霊どもは敢えて近づかなくなるのである、なぜなら彼らはその生命を成立させている悪と誤謬に対する嫌忌と恐怖に堪えることが出来ないで、ときとしてはそれらが近づいてくるのみで恐怖に襲われるからである。善と真理に対する愛が多ければ多いほど、天使たちはその人間と共になることを愛し、また天使たち共に、天界もその人間と共になることを愛するのである、なぜなら彼らは愛の幾多の善と信仰の幾多の真理の中にいるとき、彼ら自身の生命の中にいるからである。