口づけ

 

 

雅歌1・2

 

どうかあの方が、その口のくちづけをもって

 わたしにくちづけしてくださるように。

 

 

天界の秘義3573

 

「わたしの息子よ、わたしに接吻してください」。これは、それが結合されることができるか否か、を意味していることは、『接吻すること』の意義から明白であり、それは情愛から発している合一と連結である。外的なものである『接吻』は内的なものである連結の情愛[連結に対する情愛]以外の何ものをも意味しない、それらもまた相応しているのである。

 

 

天界の秘義3574

 

『接吻すること』の意義は情愛から生まれた合一または連結である(3573番)。『接吻すること』にこうした意義があることはまた聖言の以下の記事から明白である。ダビデの書には―

 

 恐れをもってエホバに仕えよ。御子[息子]が怒られて、あなたたちが途中で滅びないように、御子に接吻しなさい、かれの怒りは速やかにもえるからである。御子に信頼をおく者は凡て祝福される(詩篇2・11、12)。

 

 ここには主がとり扱われており、その神的な人間的なものが『御子』であり、『かれに接吻する』ことは愛の信仰を通して主に連結することである。さらに―

 

 慈悲と真理とはともに会った、義と平安とは互に接吻した(詩篇85・10)。

 

『義と平安とは互に接吻した』はそれらがともに連結したことを意味している。

 

 

天界の秘義3800

 

「ヤコブはラケルに接吻した」。これは内的な諸真理に対する愛を意味していることは、以下から明白である、すなわち、『接吻すること』の意義は情愛から発した合一と連結であり(そのことについては前の3573、3574番を参照)、従って愛であり―なぜなら愛はそれ自身において観察されるなら情愛から発している合一と連結であるからである―ラケルの表象は内的な真理の情愛である(3793番)。ここから『ヤコブがラケルに接吻した』ことにより内的な真理に対する愛が意味されていることが明白である。

 

 

天界の秘義4215

 

『接吻すること』の意義は情愛から連結することであり(3573、3574番を参照)、従って承認することであり(なぜなら善と真理とによる連結がある所には、その善と真理の承認もあるからである)、

 

 

天界の秘義4215[2]

 

『接吻すること』が情愛から連結することを意味していることは相応から発しているのである、なぜなら諸章の終りに示されたように、身体の凡ての器官と部分に天界は相応しているからである。人間の内なるものは顔の凡ゆるものと相応しており、そこから意図は容貌から輝き出ており、内的な意図または心は眼から輝き出ているのである。思考と情愛とは身体の活動と動作とに相応しており、そのことは非自発的な性格のものであるもののみでなく、自発的な性格のものであるものについても良く知られているのである。なぜなら心の卑下は身体の外なる動作であるところの拝跪を生み出し、さらに深い、またさらに内なる卑下は地に平伏す動作を生み出し、心情の歓びと心の楽しさとは歌声と楽しい叫びとを生み出し、悲哀と内なる嘆きとは涙と号泣とを生み出しているが、しかし情愛から連結することは接吻を生み出すからである。

 

 

啓示による黙示録解説244

 

『互に接吻すること』により、連結して、また心を一つにして行動することが意味され、

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P63

 

ああ、この不思議中の不思議を行っている間 なんという悦びを得てきたか! 私は 回復を間近に予知して、我が情け深い慈悲の行為に なんという神聖な喜びを得たことか! あなたをその悲惨と悪の拘束から解放し、絶え間なく私と戯れる子どもとなるよう 私のほうへと引き寄せている時、なんという歓びと幸せに心満たされたか。 それから王としての我が威厳にあなたが目を留め 永に私たちの婚姻を記念するよう、我が名を称えるであろうその唇に 最も甘美な口づけをした、こうして我が至高の甘美に いっそうの注意をひいて、あなたがこのように言うのを聞けるように、「主なる神は私を娶り、私の霊魂をご自身をもって飾られました、ああ 霊魂がしなやかで従順ですと 主はなんとお喜びでしょう、主の計り知れない知恵が その中に分け入って すっかり主へと引き寄せますから。」