空疎
天界と地獄56
天界はまた、主が承認され、信じられ、愛されている所に在る。種々の社会内の善の変化から生まれている主礼拝の変化は害をもたらさないで、益をもたらしている。なぜならそこから天界の完全さが発しているから。それがそうであるのことは、哲学者の用語を用いて、その用語によりいかにして完全なものは種々な部分から作られているかを示さなくては、理解できるように容易に説明することは出来ない。全体は各々種々の部分から存在している。なぜなら種々の部分から存在していない一つの全体は無意味なものであり、形を持たず、それ故性質も持たないから。しかし一つの全体が種々の部分から存在し、その種々の部分が完全な形をもって存在し、その中で凡ゆる物はそれ自身を他のものに、調和のある一致性をもって、連続させ、結合させているとき、それは完全なものとなっている。天界もまた極めて完全な形に排列された種々の部分からなった一つの全体である。なぜなら天界の形は凡ゆる形の中でも最も完全なものであるから。これが凡ゆる完全の源泉であることは、感覚と心とに訴える凡ゆる美、魅力、歓喜から明らかである。なぜならそれらは、秩序を以て共に存在しているか、または秩序を以て、互いに他のものの後に続いているかしているところの、多くの調和した、また一致した個々の物の一致、調和という源泉のみから存在し、流れ出ていて、ただ一つおものからは存在してはいないからである。ここから変化の中に歓びがあると言われ、その歓びはその変化に従っていることが知られている。これらの事から、天界においてすら、完全は変化から存在していることが鏡中におけるように認めることができよう、なぜなら霊界の物は自然界に存在する物を鏡としてその中に見られることが出来るからである。