草地

 

 

天界の秘義6078

 

「あなたの僕たちの羊には草地がないからです」。これは、真理の諸善を宿した記憶知が欠けていることを意味していることは、『羊の草地』の意義から明白であり、それは真理の諸善が宿っている記憶知であり、かくて『草地がないこと』は真理の諸善の宿っていない記憶知である。『草地』はその内意では霊的な生命を支えるものであり、とくにそれは記憶知の真理である。なぜなら人間の霊魂は身体が食物を欲するようにその真理を欲するからである。この真理が栄養を与えるのであり、それで『食べること』は教えられることを意味している(5201番を参照)。記憶知と真理とが人間の霊魂を支えていることは人間が物事を知ろうと切望することから、また食物と記憶知との相応からも非常に明白であり(1480、3114、4792、5147、5293、5340、5342、5576、5579、5915番)、その相応もまた人間の中に人間が食物をとっているとき明らかに現れているのである。なぜならもしそのことがかれが話したり、聞いたりしている中に行なわれるなら、乳びを受けるいくたの器官は開かれて、かれはただ一人いるときよりもさらに完全に栄養を与えられるのである。霊的な真理とその真理とを教えられることも人間に対しもしその人間が善の情愛をもっているなら、同じ結果を与えるであろう。真理が霊的な生命を養うことは善良な霊と天界の天使のもとではとくに明らかである。なぜなら善良な霊も天使も事物を知って賢明になろうと絶えず切望しており、この霊的な食物に欠けると荒れすさんだ気持ちになり、その生命は生気を欠き、かれらは飢えるのであり、その切望が満たされない中は、その生命の祝福へあげられはしないからである。しかし記憶知が霊魂に健全な滋養をえるためには、その中に真理の諸善から生命が存在しなくてはならない。もしこの源泉から生命が存在しないなら、記憶知は実際その人間の内的な生命を支えはするが、しかしそれはただかれの自然的な生命を支えるのみで、その霊的な生命を支えはしないのである。

 

 

天界の秘義6078[5]

 

 これらの記事の中の『草地』は人間が教えられる諸真理を意味しているが、ここでは霊的な生命に関係した事柄を意味している。なぜなら霊的な生命は、もしこの草地がつきるなら、衰え、いわば身体が食物を欠くと衰弱するように衰弱するからである。『草地』は人間の霊魂または霊を回復し、維持する善と真理とを意味していることはヨハネ伝の主の御言葉から明らかである―

 

 わたしは戸である、もしたれでもわたしから中へ入るなら、その者は救われ、出入りし、草地を見つけるであろう(ヨハネ10・9)。

 

ここの『草地』は、主を承認し、主のみから生命を求める者たちの得る諸善と諸真理とを意味している。