苦しみへの望み

 

1.ルイザ・ピッカレータ

 

 

1.ルイザ・ピッカレータ

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P77

 

最初主は聞こえない振りをしていらっしゃいましたので、私には苦しみがもっとひどくなるようでした。けれどもそのあと私にたいして非常な親切さをもっておっしゃいました。「わたしの娘よ、いらっしゃい。あなたを慰めてあげましょう。このようにあなたが訴えるのはもっともです。あなたはこういうことでとても苦しんでいますから、わたしがどんなに苦しんだかあなたに思い出させることは必要です。

 わたしの苦しみも、ある時までは人に知られずにいました。しかしその後わたしの父の御旨がわたしを公けに苦しむことを望まれた時、わたしはすぐに、あらゆる軽蔑、恥辱、困惑などに出遭うようになり、服を脱がされ、裸で数多くの人びとの前にさらされなければなりませんでした。これよりも大きな辱しめを想像することができますか? わたしの人間性はこのような恥辱を生々しく感じたにもかかわらず、わたしの目は御父のご意志にしっかりと注がれ、わたしが忍んだこれらの苦しみや恥辱は、神への多くの侮辱にたいする償いとして捧げられたのです。それは天と地を前にして人間が犯すまったく恥知らずな行為のためですが、彼らはこのような罪を赤面することもなく、反対に目を開いたまま、まるでなにか大事業を成し遂げるかのように自慢しながらやってのけるのです。

 わたしはこれら全てのことにもかかわらず、御父に言いました。“聖なる父よ、わたしになされる恥辱と軽蔑を、自由勝手に、そして公けにあなたを侮辱する人びとの多くの罪の贖いとしてお受けください。それは小さい人びとにとって大きなつまずきとなっています。どうか彼らをお許し下さい。豊かな光を与え、それによって罪の醜さを見ることができ、改心して徳の道へと戻りますように”。さあ、それではもしあなたもわたしを真似したいなら、全ての人の善のためにわたしも我慢したこれらの苦しみに参加しなくてはならないのではありませんか? 霊魂に与えることのできるいちばん美しい贈物は何か知っていますか? わたしにとっていちばん愛しいものとされたのは、わたしがもっとも近しく触れたあの十字架と、その苦しみだということを? 十字架の道においては、あなたはまだ少女にしかすぎません。ですからあなた自身まだあまりにも弱いと感じています。しかしもう少し大きくなって、苦しむことがどれほど貴重なものであるかよく分かった時、そのときにはあなたの中で苦しみへの望みはもっと生き生きとしたものになるでしょう。とにかくわたしを信頼しなさい。そして休みなさい。そうすれば苦しみへの力と愛を獲得するでしょう。