高揚

 

起きる

 

 

 

天界の秘義789

 

 わたしたちは箱舟が地から高く上げられて、水の面を漂ったという記事により意味されていることを記すに止めよう。たれ一人これが人間がいかようにして悪と誤謬から遠ざけられるかを教えられない限り知ることができないため、またこれは隠れた事柄であるため、それを簡単に説明しよう。全般的に言って、人間はことごとく、再生した者ですらも、若し主がその者を諸々の悪と誤謬から遠ざけられないなら、かれは自らを地獄に真逆様に投げ込むといったものである。かれは遠ざけられないなら、すぐさまその中へ真逆様に突入するのである。このことは経験によりわたしに明らかにされたのであり、また(前の187、188番に記されたように)馬により表象されもしたのである。こうした悪と誤謬から遠ざけることが実際もち上げられることであって、かくて悪と誤謬とは下に認められ、その人間は上になるのである。このように高揚されることについては主の神的慈悲の下に後に述べよう。『箱舟が地から上げられ、地の面の上に漂った』ことにより意味されているものはこの高揚である。

 

 

 

新共同訳聖書

創世記46・4

わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。

 

 

 

文語訳聖書

創世記46・4

我汝とともにエジプトに下るべし亦かならず汝を導(みちびき)のぼるべし

 

 

 

天界の秘義6007

 

「わたしはあなたを上らせ、まことに上らせましょう」(創世記46・4)。これはその後高揚されることを意味していることは、『上ること』の意義から明白であり、それは高揚である(3084、4539、5406、5817番を参照)。ここに意味されている高揚は記憶知から更に内的な物へ高揚されることである。なぜなら記憶知が(前の6004番に言われたことに従って)諸真理に満たされた後ではその人間は記憶知から更に内的なものへ高揚され、そのときは記憶知は彼にその精神活動の究極的な面として役立つからである。更に内的なものへ高揚されることは更に内的に考えることであり、最後には霊として、また天使として考えることである。なぜなら思考は内部へ進むに応じて、それは主から発してくる真理と善との流入に益々近づくため、益々完全なものになるからである。(思考には内的なものと外的なものとがあることは5127、5141番に見ることが出来よう)。