香料・芳香油・没薬
ルカ7・44−50
そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。
天界の秘義4748
『香料、芳香油、もつやく』の意義は自然的な人における善と連結した内的な自然的な諸真理である(そのことについては以下に述べよう)。古代人の聖い礼拝では良いにおいのする、香りの良い物が用いられ、その中には乳香や香料が在り、またそのような物に油が混ぜられて油を塗られたのである。
天界の秘義4748[2]
乳香と香料とが古代人の間の聖い祭儀に用いられた理由は、香りは認識に相応し、色々な種類の香料の香りといった芳香は善から発した真理の、または仁慈から発した信仰の認識といった快いまた楽しい認識に相応しているということである。実に、その相応は他生では主が良しとされる時は常に認識そのものが香りに変化するといったものである(このことは前に経験から言ったことの中に見ることができよう、925、1514、1517−1519、3577、4624−4634番)。『香料、芳香油、もつやく』により詳細にここに意味されていることは、それらを記してある他の記事からみとめることができよう。全般的にそれらは自然的なものにおける内的な諸真理を意味しているが、しかしその中の善から発しているようなものを意味しているのである、なぜなら真理はそれのみでは自然的なものを作りはしないで、善が諸真理によりそれを作るからである。そこからその自然的なものの多様なもの[種類]は善に連結した真理の性質に順応しており、従って善の性質に順応しているのである、なぜなら善は諸真理からその性質を得ているからである。
天界の秘義5621
ここからこの芳香性のろうは善の真理を意味している理由が明白である、なぜなら香料は凡て、芳香をたたえているため、内意では善から発している真理を意味しているからである。このことは以下の事実から認めることができよう、すなわち、善から発した諸真理は天界では、世の芳香をたたえている物のように、楽しく認められるのであり、それで、主が良しとされるときは再三起ることではあるが、天使たちの認識が香りに変化すると、そのときはそれは香料や花から発した芳香としてかがれるのである。
天界の秘義9954
「あなたは、断食するときは、頭に油を注ぎ、顔を洗いなさい、断食していることが人間に現れないで、秘かにあなたの父に現れるためである」(マタイ6・17,18)
「断食すること」は悲嘆にくれることを意味している。