是等の儀式は主が来り給うた時廃止された

 

 

1.是等の儀式は主が来り給うた時廃止された

 

真の基督教786

 

イスラエル教会は本質的には見えない神であるエホバを礼拝したが(出エジプト記33・18−23)、然し人間の形の下に礼拝した。実に神の臨在に満たされた天使の形であったこの形がアブラハム、サラ、モーゼ、ハガル、ギデオン、ヨシュア及び予言者の或る者に現れたのである。この人間的な形は来るべき主を表し、それ故かの教会に於ける物は尽く表象的であった。実に、彼らの犠牲及びその他彼らの礼拝にかかわりを持つ物は凡て来るべき主を表象し、而して是等の儀式は主が来り給うた時廃止されたことは良く知られている。

 

 

 

神の愛と知恵233

 

しかしその人間的なものを取られた後は、彼自身から発した直接的なものとなったからである。これが彼の降臨以前の世界の凡ゆる教会は霊的な天的な物を表象したが、しかしその降臨後では、霊的な自然的なものになり、また天的自然的なものになって、表象的礼拝が廃止された理由である。これがまた、前述したように、彼の神的愛と神的知恵から最初に発している天使的天界の太陽が、その人間的なものを取られた後は、それを取られなかった前よりもさらに大いなる抗再生しない

 

 

 

 

野葉:“律法と預言者はヨハネの時までである”(16節)とは、主と主が来られることに関する預言は主が世に来られたときに終わった、という意味です(天界の秘義9372)。