告解
1.聖書
2.スウェーデンボルグ
3.ヴァッスーラ
4.聖母から司祭へ
5.ジャン・マリ・ヴィアンネ
6.ドレックス教授
7.ルイザ・ピッカレータ
1.聖書
ヨハネ20・23
だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。
2.スウェーデンボルグ
真の基督教567
改革派の人々は実際の悔改めには根強い反感を持っている。それ故、彼らはその罪を点検し、これを神に告白するように自分自身を強制することが出来ないことは注目すべき事実である。彼らは単にこのような事柄を思うのみで恐怖に襲われる。私は霊界でこの事について彼らの多くの者に尋ねたが、彼らの凡てはそれは彼らの力では出来ないものであることを認めた。而して彼らはロマ・カトリック教徒はそれを実行している、すなわち、彼らは自らを点検し、自らの諸々の罪を祭司に告白していると教えられると、非常に驚き、さらに改革派の者は己が罪を秘かに神の前に告白することが聖餐の準備として彼らに等しく課せられているけれども、それを為すことが出来ないことを認めたのである。彼らの或る者はその理由を調べ、このような悔改めのない心の状態を生んだものは信仰のみの教義であることを知り、かくてキリストを崇拝して、聖徒達に祈願を捧げないロマ・カトリック教徒は救われることを納得したのである。
3.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/あなたは預言を無視しますか/P227
ネランク:心の中で悔い改めることに加えて、たとえば司祭への告解のような、形式による方法も必要ですか?
ヴァッスーラ:はい。重要なことです。告解の秘跡は非常に重要です。私は何も知らなかったので、最初の頃は反抗していました。少しずつ、告解するように自分を仕向けなければなりませんでした。私は粗野でした。イエスが「あなたは、告解に行かなければならない」とおっしゃった時には、まったく途方にくれました。神と触れ合い、神に直接自分の犯した罪を告白することができるのに、なぜ司祭の所へ行かなければならないのだろうと首をかしげました。神はおっしゃいました。「あなたは好きなように、毎日でも私に告白することができる。だが告解の秘跡は私が与えた掟だ。司祭の所へ行って告解をして、罪をゆるしてもらいなさい」。私は抵抗しながらも、お言葉に従いました、なぜならイエスは、執拗なやり方で、要求なさったからです。イエスは、私が抵抗したのでお怒りになりました。私は筆記の最中でしたが、イエスは鉛筆を取り上げて、部屋の反対側に投げ付けました。そして「あなたと話しているのは、この私だ!」とおっしゃいました。それで少し怖くなって、「分かりました」と申しました。
ネランク:ギリシャ正教会にも、告解はあるのですか?
ヴァッスーラ:あります。
ネランク:つまり回心の前に、ギリシャ正教会で告解することもできたわけですね。なさったことは一度もないのですか?
ヴァッスーラ:ありませんでした。
ネランク:一度も?
ヴァッスーラ:一度もありません。
ネランク:つまりヴァッスーラさんが最初に告解したのは、回心の後ということになりますね。回心してすぐですか、それとも数か月が経ってからですか?
ヴァッスーラ:数週間してからです。
ネランク:数週間が過ぎてから、自宅の前にあったカトリックの神学校に駆け込まれた時ですね。
ヴァッスーラ:そうです。多くの人からこう尋ねられます。「私は重大なことは何もしてないわ。誠実な家庭生活を送り、夫と子供を愛し、盗みも、人殺しもしてないわ。それなのにどうして告解に行かなければならないの? 慈善活動には熱心だし、貧しい人々のために多額の寄付もしているのよ。それでどうして告解に行かなければならないの? 何のことで?」。それで私は「あなたが今言ったこと、それだけでも、告解に行くには十分よ。自分は完全な人間だと思っているのですもの」と答えます。告解に行く時は、まず最初に十分祈ったかどうか、第一の掟を守ったかどうかを自分に問うべきです。それは神を愛せよ、ということです。神がお望みのように、神を愛しているでしょうか? 完璧などということは決してないのですから、いずれにしても、第一の掟を尊重しなかったことを告解すべきです。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P41
‘88・9・29
主よ?
私です、覚えておくように、あなたの周りは荒れ野です。 ヴァッスーラ、悔い改め 私に罪を告白しなさい、耳を傾けている(*)、すっかり赦す、霊魂の染みとなっていた あなたの罪を赦す、平安でいなさい、今しがたのことを 全ての被造物に強く伝えたい。 私は皆に掟を与えた、皆はこの掟を守るように、私は我が教会に仕える教師たちを与え、道を案内させ 聖体拝領で私を受けることが いかに大切かを教えさせている。 我が血と我がからだを 受けなさい。 私は意味なく川のように 血を流したのではない、あなたに飲ませようと それは流された。 私に仕えるこの者たちは 我が血をあなたから遠ざけてはならない、我が血は あなたの救いのために流された、我が血も飲むように、さあ 来て飲みなさい もっとほしいと望むようになる。 私の最後の晩餐の言葉を守るように、そして私のもとに来る時は、その前に、私をどう受けるかに注意し、自らを調べ、気を落ちつかせ、悔い改めて しばしば告解し 私を尊びなさい。 あなた方に聴罪師を与えた、愛する者よ、彼に告解していても 私に告解しているにすぎない、あなたが告解している相手は私です。 契約の血を 聖でないかのように扱ってはならない ♡♡ 我が聖なる現存を忘れないでほしい、「私たち」、
はい「私たち」
*神に告白しました。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P108
‘90・1・31
♡ 絶え間なく 心を込めて祈ることを学び、断食と 償いをするようになさい。 月に一度は告解しに行くようになさい。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P112
‘90・2・9
カプチン会女子修道院、シオンのためのメッセージ:
すべての司教 司祭たちのために祈るように 望んでいる、私を代表するすべての者たちの教えに 耳を傾けるようにと 望んでいる。 断食と償いを 望んでいる。 なるべくしばしば聖体を拝領するようにと 望んでいる。 少なくとも月に一度は告解するのを 望んでいる。 毎日聖書の中から読むのを 望んでいる、犠牲によって他の人びとのために償うことを 望んでいる、ロザリオの祈りを 望んでいる そしてできれば三つの奥義を全部祈ってほしい わたしは聖であるがゆえ あなた方に聖性を取り戻させ 聖なる生活を送らせようと目指している。 これらが私の指針です ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P197
‘90・7・30 ロードス島、聖ネクタリオの修道院で
さあ、あなた方の多くは正しい道から逸れ 胸のうちに罪を隠し持ち、私を受けるのを怖れている、告解し 自らを解放しなさい、真に悔い改め 清らかさと聖性のうちに私が受けられるように 断食しなさい ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P136
‘92・9・11
―もっとしばしば告解しなさい。 はいと言いながら やらないのはよくない。 「主に喜んでいただけるように努力します」と言うほうがよい!
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P199
‘93・2・2
では私といるように こころを決めなさい! あなたを私の心に招いたが、雑用管理に招いてはいない。
でも誰がそれをやればよいでしょう?
あなたはまだ 罪を認めていない(*)!
* 主はここで、前より厳しい口調でした。
はい、あなたとの決めごとを守らず、罪を犯しました。
その上私に忠実でなかったと、そう言いなさい!
そしてあなたに忠実ではありませんでした。
ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・8巻P222
‘96・10・22
我が教会の娘よ、教会に従順なら、私をがっかりはさせない・・・たびたび赦しの秘跡を受け、自分を罪びとと認めなさい、そうするなら毒蛇、偽りの父は、あなたを騙せない・・・悔い改めのうちに ふさわしい果実:愛の実を常に実らせよう、こうして我が愛のうちに 成長していきなさい・・・さあ来て 私のメッセージを書くように:
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P142
‘00・12・31
上から見る全てに我が霊は 打ちひしがれる。 悪を行う者は私の目を逃れることはできない 兄弟に向って夜のしじまに「復讐」を叫び、夜昼となくわめき立てる者も・・・・ああ、ヴァッスーラ、私の言葉があなたを通してこだまするように。 善人 悪人を問わず、誰にでも伝えなさい:
「私は 天より声を響かせている。善人 悪人を問わず、誰にでも聞こえるように 大声で叫ぶ。 そう、実に、私の声は世界の果てにまで達した。 善人も悪人も同じように 悔い改める必要がある。 善人は我が意思を正確に行わなかったゆえ そして正しい仕方(*)で祈らないために。 ― 彼らの多くは口先だけで私に近づいて来る。 悪人たちは、心を頑なにし 私にも我が掟にも関心がないため 大罪を犯している。」
4.聖母から司祭へ
聖母から司祭へ1989.3.23
―イエズスは、赦しの秘跡を通しておいでになります。この秘跡は、すべての罪人をイエズスのあわれみ深い家につれもどします。
「あなたたちが罪をゆるす人には、その罪がゆるされる」(ヨハネ20・23)
5.ジャン・マリ・ヴィアンネ
アルスの司祭P2
彼は真夜中に起きた。
一時に祈るために教会へ降りて行った。
六時まで告解をし、ミサを献げた。
七時に「ラ・プロヴィダンス」(孤児のために彼が行った事業)で、ミルクをカップに半分飲んだ。その後すぐ、十一時まで人々の告解を聞いた。
昼から夕の八時までの六時間近く、司祭館で食事をとったり、病人を訪れたり、聖務日課を唱えたり、告白を聞いたりした。
八時に、共同の祈りや説教、カテキズムを行った。
十時に帰宅し、敬意を表して、訪問者を受け入れた。
一時間から三時間眠り、二十時間働き、そのうち十五時間は告白を聞いた。
これを三十年間続けた・・・・。
アルスの司祭に告白した人は十万人以上にもなった。
アルスの司祭P93
多くの巡礼者がいたので、1836年から馬車が週三回、トレヴォーとアルスの間をはしり、1840年から毎日、リヨンとアルスの間を通った。(中略)最後の年に毎日の巡礼者数は三百人から四百人にもなった。
ほとんどの人が告解を望んだ。ヴィアンネ師はすばやく行った。しかし、冬には十一時、十二時まで告解を行った。夏には十七時から十八時までにもなった。巡礼者は三十時間、あるいは七十時間列に並んだ。
アルスの司祭P18
母が子を火から救うよりも、善なる神が悔やむ罪人をゆるすことのほうが早いのです。
6.ドレックス教授
天使館/天使のパン16号P40
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1973年7月6日早朝の主の御言葉
聖なる改悛の秘跡は教会の教えに反して無視され、不必要として宣言されている処もある。何百万という子供たちの心の中に教えこまれてきた聖書の御言葉に対する尊敬は消し去られ、代わりに不信仰という毒が教会の教師たちやシスターたちによって子供たちの心に植え付けられている。この様にして子供たちの信仰は落ちてしまっている。これこそが今日の青少年が神を無視し、神の戒律に対する崇敬を持たずに育てられている理由である。
7.ルイザ・ピッカレータ
ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P77
「世の中全体が、誰が彼らに属しているかを知っているのに、私の教会だけが、自分の子どもたちは誰々なのかを知らない。まずすべき第一歩は、教会に真に加入しているのは誰であるかを知ることである。ある日一つの集会を定め、カトリック信者たちに、規定の場所で行なわれるこの集会に参加するように要請する招待を出すことによって、それを知ることができるだろう。その時、信徒の助けをかりて、するべきことを定めなさい。第二番目にすることは、参加するカトリック信者に、赦しの秘跡にあずかるようにと義務づけること。それは人を刷新し、まことのカトリック信者を形成する。それはそこに出席している人々のためだけでなく、長上たちの義務でもあり、その下に服する人々にも赦しの秘跡の実行を義務づけるように。もしもそれがかなわないときには、その人を自分の役職から取り除くべきである。
各司祭がそれぞれ自分の信者のグループを形成したら、次により高いもう一歩を踏み出すことができる。世の中に入ってゆくための適当な時期を見極め、自分たちを示すことに慎重を期すことは、大きな季節の果物を実らせるために木にほどこす剪定のようなものである。もし木がよく剪定されていないなら、葉や花はつけるが、果実になる多くの花を支えるために十分な強さをもった枝がないために、あとで霜がおりたり、風が吹くやいなや花は落ち、木は裸になってしまう、ということが起こる。
宗教にも、このようなことが生じる。ほかの群れに立ち向かうためには、まずカトリック信者の群れをよく形成しなければならない。そのあと、他の色々な集団を促進させるために、他のものも加え、そしてそれらを徐々にただ一つのものに形成してゆくのである。