1.人間はその心から人間である

2.意志と理解が一つのものとなるとき、心と呼ばれる

 

 

 

 

1.人間はその心から人間である

 

天界の秘義5302

 

それは自然的な心であるため、その人間そのものである、なぜなら人間はその心から人間であるからである、なぜなら心そのものがその人間を構成しており、『心』のあるがままに、その人間もあるからである。心により人間の知性と意志とが意味され、従って人間の生命そのものが意味されている。愚鈍な者らは人間はその外なる形から、すなわち、彼は人間の顔のような顔を持っているということから人間である、と考え、それほど愚鈍でない者は人間は話すことが出来るから人間であると言い、更にその者ほど愚鈍でない者は人間は考えることが出来るため、人間であると言うのである。しかし人間はそうした事から人間ではなくて、真のものを考え、善いことを欲する[意志する]ことが出来るという事実から人間なのである。人間が獣から区別されているのはこのことによっているのである。

 

 

天界の秘義5302[2]

 

 しかし彼が人間のように見えることが、話したり、考えたりする能力が人間を人間とするのではないのである、なぜならもし彼が誤ったことを考えて、悪いことを意志するなら、そのことは彼を単に獣のようなものにするのみでなく、さらにそれよりも悪くするからである、なぜなら彼はこの能力そのものによって彼自身の中の人間的なものを破壊して、彼自身を野獣としてしまうからである。このことは他生におけるこのような人物から特に明白であり、彼らは天界の光の中に見られ、天使たちから眺められると、怪物として現れ、その或る者は野獣として、詐欺漢は蛇として、他は他の形をとって現れるのである。

 

 

 

 

2.意志と理解が一つのものとなるとき、心と呼ばれる

 

 

新しいエルサレムの教義28

 

 人間はその生命を作っている二つの能力を持っており、一は意志、他は理解と呼ばれている。この能力は互いに区別されているが、一つのものとなるように創造(つく)られており、それが一つのものとなるとき、心と呼ばれる。それでこれらのものから人間の心は成り、人間の生命全体はそこに存在している。