孤児の母
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/P42
自然界の誕生、からだの誕生という産み育てる好意には、かならずそこに、父と母とがいなければなりません。同様に、超自然界の誕生、霊的誕生においても、神という御父とマリアという母とがいなければなりません。神の子ども、救われる人は、ひとり残らず、神を父として、マリアを母としてもっています。マリアを母としてもっていない者は、神を父としてもっていません。
マリア・ヴァルトルタ/天使館第4巻上P92
「彼女を、平和のある場所に、汚れのない母のそばで、生命であるキリストを世に与えるべく得た生命ほどのあの方のそばで、多くの霊魂が生まれ変わる場所に導いたのは、あなたの苦しみです。あなたの妹はわたしの母のところにいます。ああ!生ける星、マリアの甘美な一条の光が射した後、その彼女の御子の、口に出さない活動的な愛ゆえの愛の懐に呼ばれ、あなたの妹が平和の、あの平和の港に帆をたたんだのは彼女が初めてではありません!あなたの妹はナザレにいます。」
「でも、妹はあなたのお母様も、あなたの家も知らないのに、どうやって行ったのでしょう?・・・一人で・・・しかも真夜中に・・・あのまま・・・どんな手段もないのに・・・あの服を着て・・・あれほどの道程を・・・どうやって?」。
「どうやって?疲れたツバメがふるさとの巣に戻るように、海を越え山を越え、嵐と霧と厳しい風の中を。ツバメが越冬地に飛んで行くように・・・自分たちを導く本能によって、自分たちを招く暖かさによって、自分たちを呼ぶ太陽によって。彼女もまた、自分を呼ぶ光のもとへ駆けつけました・・・万人を招く母のもとへと。そして、わたしたちは暁に幸せに戻ってくる彼女を見るでしょう・・・永遠に暗闇から脱け出して、もう二度と孤児(みなしご)ではないように、ひとりの母、わたしの母の傍らに。あなたはそれを信じることができますか?」
「はい、わが主よ」。