幸福

 

 

1.主に対する卑下の状態

2.愛のあるがままに、歓喜も祝福も、幸福もある

3.愛と仁慈は霊的な連結であり、祝福と幸福とはそれらのものから発している

4.最も内なる情愛からその者の祝福と幸福とを他の者に伝達し、その者がそれを伝達することが出来ることが祝福と幸福

5.悦ばしいものの凡てと快いものの凡ては愛から発し、従って愛の凡ても、幸福の凡ても愛から発しており、それでまた愛の如何に、喜びと幸福とが順応している

6.人間は主に密接に結合するに応じて益々幸福になる

 

 

 

 

1.主に対する卑下の状態

 

 

天界の秘義1153[2]

 

色々と変化している礼拝の実情はいかようなものであるか、また古代教会の内の種々の国民の実情はいかようなものであったかが更に明らかに説明されるためには、以下のことが知られなくてはならない、即ち、真の礼拝は凡て主を崇拝することから成っており、主を礼拝することは卑下から成り、卑下は自分自身の中には生きたものは一つとしてなく、善いものも一つとしてなく、自分の中の凡てのものは死んだものであり、実に屍のようなものであることを自分が承認することから成り、また生きたものはことごとく、また善いものはことごとく主から発していることを承認することから成っているのである。人間はこうしたことを口でなくて心で承認するに応じて、益々卑下の状態におり、従って益々崇拝の状態の中に、即ち真の礼拝の中におり、愛と仁慈の中におり、益々幸福な状態にいるのである。一方は他方の中に在って、分離出来ない程にも連結しているのである。ここから礼拝のこうした相違はいかようなものであり、またいかような性質を持っているかが明白である。

 

 

 

 

2.愛のあるがままに、歓喜も祝福も、幸福もある

 

 

天界の秘義2718[]

 

または以下の例を考えられよ。すなわち歓喜、祝福、幸福はことごとく専ら愛に属しており[愛のものであり]、愛のあるがままに、歓喜も祝福も、幸福もあること[愛の性質に歓喜、祝福、幸福の性質が応じていること]を考えられよ。霊的な人間はそれがそうであるか、幸福は他の何らかの源から発していないか、例えば社交、会話、瞑想、学問から、または財産から、その財産の名誉、名声、栄誉から発していないか、といった問題にその自然的な心を集中させてしまって、こうしたものは何ごとも生み出しはしないで、ただそれらのものの中にあるような愛の情愛のみがそれらを生み出しているという事実を確認しないのである。しかし天的な人間はこうした予備的なものの中にこだわりはしないで、それがそうであることを肯定し、それで目的そのものと用との中におり、即ち、愛の諸々の情愛そのものの中におり、その情愛は無数であり、またその情愛の各々のものの中には表現を絶したものが存在しており―しかもそれは永遠に歓喜と祝福と幸福の変化を伴っているのである。

 

 

 

 

3.愛と仁慈は霊的な連結であり、祝福と幸福とはそれらのものから発している

 

 

天界の秘義2718[]

 

 このすべてから私たちは真理の情愛の中にいる者たちは(すなわち霊的な者たちは)善の情愛の中にいる者たち(すなわち天的な者たち)に比較して明確でないもの[曖昧なもの]を持っていることを認めることが出来よう。それでも霊的な者たちは、善はことごとく主に対する愛と隣人に対する仁慈から発しており、愛と仁慈は霊的な連結であり、祝福と幸福とはそれらのものから発し、かくて天界的な生命[天界の生命]は主から発している愛の善の中に存在しているが、そこから分離した信仰の真理の中には存在していないことを進んで肯定しさえするなら、明確でないものから光の中へ入ることが出来るのである。

 

 

 

 

4.最も内なる情愛からその者の祝福と幸福とを他の者に伝達し、その者がそれを伝達することが出来ることが祝福と幸福

 

 

天界の秘義2872

 

 しかし天界的自由[天界の自由]は主から発しているものであり、諸天界の天使たちはことごとくその中にいるのである。前に言ったように、これは主に対する愛と相互愛との自由であり、かくて善と真理を求める情愛の自由である。この自由の性質は以下の事実から認めることが出来よう、即ち、その中にいる者はことごとく最も内なる情愛からその者の祝福と幸福とを他の者に伝達し、その者がそれを伝達することが出来ることが祝福と幸福なのである。天界全体はこのようなものであるため、各々の者があらゆる形の祝福と幸福との中心となっており、またこれらのものはことごとく同時に各々の天使に属しているということが生まれてくるのである。伝達それ自身は、主により、天界の形であるところの、把握できない形をとった驚嘆すべき幾多の流入により行われている。このことは天界的自由とはいかようなものであるか、またそれは主のみから発していることを示している。

 

 

 

 

5.悦ばしいものの凡てと快いものの凡ては愛から発し、従って愛の凡ても、幸福の凡ても愛から発しており、それでまた愛の如何に、喜びと幸福とが順応している

 

 

天界の秘義3539[4]

 

愛は人間の生命そのものであり、愛の如何に、生命が順応していることについても、また悦ばしいものの凡てと快いものの凡ては愛から発し、従って愛の凡ても、幸福の凡ても愛から発しており、それでまた愛の如何に、喜びと幸福とが順応していることについても同じである。人間はまた以下のことを、たとえ彼の意志はそのことに同意はしないし、または反抗しているにしても、その理解の中に把握することが出来るのである、即ち、最も幸福な生命[生活]は主に対する愛と隣人に対する仁慈から発している、それは神的なものがその中へ流入しているためである、それに反し最も悲惨な生命は自己への愛と世への愛から発している、それは地獄がその中へ流入しているためである

 

 

 

 

6.人間は主に密接に結合するに応じて益々幸福になる

 

 

神の摂理37[4]

 

人間は主に密接に結合するに応じて益々幸福になる」。 上述したことが(32、34)幸福の度につき、人間の主との結合による生命と知恵の度についても言うことが出来よう。なぜなら心の高い度の霊的な度と天的な度とが人間の中に開かれるに応じ、幸福、祝福、喜び

が増大し、この世の生活の後これらの度は永遠に完成されるからである。