子羊
黙示録講解852イ[2]
聖言は文字の意味においてはいかようなものであるかを知らない者は『神と子羊』が言われており、ここ『子羊と父』が言われているとき、二人が意味されている、と考えるであろうが、それでも主のみがその二により意味されたもうているのである。旧約聖書の聖言においても同一であり、そこには『エホバ』、『主エホビ』、『万軍のエホバ』、『主』、『神エホバ』、と言われ、『神』は複数形で言われ、単数形では『イスラエルの神』、『イスラエルの聖者』、『イスラエルの王』、『創造者』、『救い主』、『あがなう方』、『シャッダイ』、『岩』などと言われてはいるものの、これら凡ての名によっては只一人が意味されていて、多数の者は意味されてはいないのである、なぜなら主はその神的ないくたの属性に従っていろいろと名づけられたもうているからである。新約聖書の聖言においても再び同様であり、そこには『父』、『子』、『聖霊』が三として言われてはいるものの、この三つの名によってはただ一人の者しか意味されてはいないのである、なぜなら『父』は主が父から霊魂として得られた神的なもの[神性]それ自体の方面の主を意味し、『子』は神的な人間的なものを意味し、『聖霊』は発出している神的なものを意味し、かくてその三つのものは一つのものであって、ここの『子羊』と『父』とが一つであると同一である。