サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P362

 

「これをせよ。これはしてはならない」という声が、ときどき心の奥底からきこえてくるが、これは神からの声である。神に近く生きる者はすすんでこの声をきくが、他の者はきくことにも困難を感じる。この声にきき従うなら、神とその意志はわれわれのなかなかに現わされる。だが、この声をきいて従わない場合は、われわれが現しているのは自我と我欲のみにすぎない。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P363

 

 

シカゴにおいて、別な聖職者から「どのような礼拝と働きが最善か」との質問を受け、わたしはこう答えた。

「どんな形をとるにせよ、中心となるのは霊と真実において神を礼拝するということです。東洋では、礼拝の場所に入るときには靴を脱ぎますが、西洋では帽子を脱ぎます。しかし、霊と真実は、帽子にも靴にも、足にも頭にも頼るものではなく、心に頼るものです。働きについていえば、人間のとりきめではなく、神の呼びかけに頼るのが一番よい。各教派は他の派の欠点ばかりあげつらうのに時間を費やすあまり、肝心かなめの生けるキリストを置き去りにしています。一番大事なことは、この生きたキリストの真実の証人になり、自分の実体験から人に証しするということです。神は偽りの証しも『悪霊の教え』も求めてはいない。こんな証しをする人は、自分を益するより害しているのです。キリストについて知っているというだけで、キリストそのものを知らない人間が、異言を話すようなこともあるでしょう。しかし、キリストを個人体験した者にしか、真実の証しはできません。