傷だらけの主

 

 

1.マリア・ワルトルタ

2.ヴァッスーラ

3.デボラ

 

 

1.マリア・ワルトルタ

 

マリア・ワルトルタ/イエズスの受難/P36

 

主が弟子たちに:

私が殺されたと知ったとき―自分たちの主が、傷まみれのらい病者に変わったと見るであろう目は、いま私のそばで涙ぐみ、そのためにこの美しい丘さえもかすんでしまっているが―こう言いなさい。“この傷のために死んだのではなく、最も愛している多くの人々に無視され、あまりにも多くの人々から拒まれたからです”

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスの受難/P20

 

主がラザロに:

“もはや私は拷問の前に、愛の喪失によって殺されてしまったのです“

 

 

2.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P171

 

私は急に体が疲れ切ったように感じ、それで、行ってよいかお尋ねしました。「まいりましょうか、イエス?」

 

娘よ、どうして?

 

疲れてしまったのです、イエス。

 

愛する者よ、あなたにいてほしい、いてくれるか?

 

(イエスが主張されたのは初めてでした)それならいましょう・・・

 

放っておかれると 心が引き裂かれてしまう、

 

けれど、あなたは私とともにおられます。私たちは一緒です・・・

 

今はともにいる、しかしあなたは たびたび私を忘れてしまう ♡ 私を自由にし 我が神聖な手であなたを望むままに形造らせなさい、私の肖りとして形造る、あなたのうちに私のわざを自由にさせなさい、私はイエス そしてイエスとは 救い主を意味する、娘よ、あなたを嫉妬するほどに愛している、あなたの行いのすべてが私のものであってほしい、ライバルは許さない、私を礼拝し 私のために生きてほしい。 私のために呼吸し、私のために愛し、私のために食べ、私のために微笑み、私のために自身を捧げてほしい、行うすべてを、私のために行いなさい、あなたを焼きつくし、燃え立たせて、私だけを望ませたい。

あなたの花びらで私を飾ってほしい 我が花よ、あなたの愛が私の冠となるよう、我が茨の冠をはずしてやわらかい花びらで置き替えなさい、あなたの香りで私を包み、私を愛し 私だけを愛しなさい。 私は崇高な愛によってあなたのためにいのちを投げ出した。あなたも私 あなたの配偶者のためには同じことをしてくれるであろう?我が許婚者よ、あなたの配偶者を喜ばせなさい、幸せにしてくれるように!永遠の絆で私に身をつなぎ、私のために生き 私だけのために生きてもらいたい、私の生けにえ、私の的、私の網となるように ♡ 被造物よ、私を愛するか?

 

どうしてあなたを愛さないでいられましょう、わが神よ、愛しております!

 

そう 何度でもそのように言っては 私にそれを聞かせなさい それを聞くのがとても嬉しい、一日千回そう言って、毎朝私のうちに休んだ後は、私と向き合って言いなさい、「わが主よ、あなたを愛します」と

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P226

 

♡ 見放されたとか 愛されていないとは決して感じないように。 あれほど愛されていないとあなたが感じていた時、私がどう感じたかを知っているか?

 

どこでですか?

 

私の教会の中で(*) ♡

 

そうでしたか、主よ。

 

私はもう一度はじめから十字架に架けられたように感じた、傷つき、鞭打たれ、唾され、釘付けされ ♡ ヴァッスーラ どんなに愛しているか! 私の教会を生き返らせる手伝いをしなさい、あなたを用いさせてくれて助けてほしい、勇気を 娘よ、勇気を。

 

   イエスが時には本当に人びとを拒絶することもあると言われた時のことです。ある神学院の司祭と議論をした時、その方は主が拒まれたカナンの婦人の聖書の箇所(マタイ15・21−28)を、私に読むように手渡して、そう言われたのです。(けれど、最終的には、彼女を拒まれたわけではありません。彼女が信仰を現すことができるように、挑戦されただけでした。)けれど、そのことを私は知らないまま、それを見せた方は、終わりまで読ませてくれませんでした。私が御聖体をいただきに教会を訪れたあとでしたので、この議論によって、何か許されていないものを受けて、それによって、カトリック教会のあらゆる掟を破ってしまったかのように感じてしまいました。そして許可を受けずにそれをいただいたことにより、大変な悪者だと。次の日曜日に教会へ行ったときは、戸口の近くに立ち、体の半分は外に出ていました(望まれていない者のように感じましたので)。それに、私は悪者であって、神は私のことを大変怒っておられると信じていましたので、ほかの人びとと一緒に聖体拝領に前へ進み出ませんでした。もしそうしたら、事態はもっと悪くなるでしょうと恐れたのです。

 

イエス、これらすべてのことが、あなたを傷つけているとは知りませんでした。この愛されていないという気持ちのことですが!

 

そう、それに私のもとに来る者は決して誰も拒まないこともあなたは知らなかった、 ♡ 私は愛 愛は誰であろうと皆のためのものです、どれほど極悪であろうと ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P241

 

♡ 私が血を流しているからだの一番深いところまで真っ直ぐに、天の力をもって導く、私の指で我がからだに棘となっているすべての聖職者である罪びとを指し示す、彼らを容赦しない ♡ 私は疲れ果てた、傷はかつてなかったほど大きくひろがっている、血が噴き出している、私自身である者たち、私自身の聖職者たちによって 再び十字架の上にいる!

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P249

 

主は以前おっしゃいました。「あなたを暗やみから救った者を忘れるとき、私は傷つく」と。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P236

‘88・6・4

 

♡♡ 教えてほしい ヴァッスーラ、聖書は切り離し ばらばらにすることができようか?

 

いいえ、主よ、それは不可能です。

 

私のからだでも 同じことだ。 私のからだも切り離すことができない、それなのに、彼らはそれを引き裂いてしまった・・・反逆が我が教会の最も奥深い中心に侵入していった、まず何人かの司祭たち、司教と枢機卿は、サタンに吹き込まれた、反抗心が心に染み込んで、視力を奪われ、サタンの翼に覆われて、罠にはまった、今や彼らの間にあるこの反逆は、私の聖心を引き裂いている。 初めにサタンから反逆の種を吸収したこの聖職者たちは これを育て、悪の企てをたくらみ、陰謀をめぐらし、反逆を引き起こし、ペトロの後継者、私の選んだ 仔羊たちの−ペトロとは反対の主張をした。 この反逆の種は今や完全に育ち、彼らは公に反逆を宣言する力を得て、私の教会に毒矢を投げ、再び分裂させようとしている・・・ 彼らは私を裏切った(*)・・・ゲッセマネでユダがしたと同じように、この愛に−満ちた−心を裏切った・・・鞭打たせに 私を引いて行く・・・今鞭を打っている、ああ ヴァッスーラ なんと苦しいか・・・

   イエスは「裏切った」と言われたとき、大変苦渋をこめて仰いました。

 

ああ 主よ、何ということ! (内的に、わが主が、鞭打たれているのが見えたのです、柱にしばられて、お体を引き裂く一撃ごとに体は打ち震え、あえぎながら 息が切れ、そのお体は一つの大きな傷そのものでした。) ああ 主よ、いつやめるでしょう。

 

♡ 彼らはやめるつもりがない、虚栄と不従順に酔いしれ、私の敵にだけは忠実に従い、残酷に鞭打つ! 私の基礎を台無しにし、羊たちを散らし、ペトロの足を踏みにじって端に追いやり、沈黙させようとして、・・・カインが私のアベルを理解したことはなかった、ああ アベル・・・見捨てはしない、あなたの神は近くにいる、あなたの神は天使の軍団を引き連れ あなたを護り あなたの敵である私の敵を屈伏させに来る、私は天使たちを準備させている、そしてカインがあなたを打つことはない、カインは彼の神である私に手を挙げねばならなくなる、主である私は彼を驚かせよう ♡ 我が教会は私の聖心と聖なる御母の汚れなき御心によって一致する、私たちの心が互いに一致しているように私の教会も一致し、教会は一つとなる ♡♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P69

‘88・11・15

 

今日は肩にイエスの十字架を感じました。主の御心が恐ろしいほどの痛みで満ちているのが感じられます。主はなんとお苦しみでしょう・・・(それは世が主を拒むからです。)

 

♡ 私です、十字架を感じ、私を休ませてくれるように、我が光の子よ、本当に疲れ果てた、そばにいてほしい、この悲しみのさ中 慰めてもらう必要がある。 我がヴァッスーラ、聞いて書くように。 ああ 被造物よ! 我が種子よ! 私はあなたの聖なる者、しかしあなたは私を 悪者にしている、はるか永遠から愛し続けてきたが、あなたは私を 蔑んでいる、死から救ったが、それでいて私を攻める。 日々あなたを我がパンで養い 我がぶどう酒で満たしてきた しかし悪をもって あなたは私に背いている。 私は愛に渇いているが、あなたは私を渇いたまま 放っておく、あなたが疲れているのを見ては 迎え入れ、我が心のうちに 休ませてあげる、それでいて 私が疲れている時は、拒む。 我が心を開いて、あなたがどう傷つけたかを 見せるが、悪に眼がくらんだあなたは、私を刺し続け、幾度となく 我が心を貫いている。あなたを迎え入れ 抱擁しようと 腕を広げているが、あなたはそっぽを向き、背中しか見せない、優しさをこめて 暖めようと 我が聖心を開き、あなたを訪れても、私の面前で心の扉を閉ざし、外の寒さに 置き去りにする。 物乞いのように一日中 あなたを呼び続け、引き上げ 癒そうと、手を差し伸べている、しかしあなたは、代わりに、私を無視し 拒絶する。 私の眼も 母の眼も 苦しみで疲れ果て、体はもとの姿をとどめないほどに 傷で痛めつけられている。 あなたに求めるのは、平和と愛だけだが、あなたは私の嘆願を聞こうとしない・・・ 私はまず 私自身の者たちのもとを訪れた、しかしここでも、彼らに拒まれ、蔑みと迫害を受けた。 あなた方は私を追跡し、道化のように扱い、裏切った・・・(*) その裏切りによって 私に残された 最後の一滴の涙も 流し尽くした、あなた方の悪意は 永劫を貫き、悪魔たちでさえその悪意に唖然としている ♡

   イエスのお声は苦しみに溢れていました。

あぁ ヴァッスーラ・・・ 同情と深い憐れみにより、注意を与え 死から救い出そうと、私はやって来た、私自身の者たちに あなたを遣わしたが、彼らは私の声を 押し殺してしまった、明るみに出て 己が非が露になるのを怖れて。 私の声を押し殺し、真理の霊を迎え入れないので、私は彼らの罪を よそ者たちによって暴かせる。 あなた方の家の屋根の上で ラッパのように我が声を響かせよう・・・(*) 私のことを全く知らない よそ者たちによって 私は受け入れられた。 戸を叩くと 中に入れてくれた。 貧しいながら、彼らの糧を分かち合い、その貧しさゆえに、私を探し求めてはいなかったが、それでいて、私を見出した。一番の友人たちによって 出来た傷を彼らに見せると、それを見て、彼らは私の傷の前に 膝を屈め、傷の深さに打たれ、私の体に加えられた 暴行に打たれ、心は蝋のように溶けた、泣かないでよい 我が子よ、

♡ ・・・私の声は よそ者に運ばれて行く、そのこだまを聞いたなら 私から発せられたと知るように。 私を求めたことのない よそ者によって 私は高められ、それまで私を知らなかった人びとから 栄光を受ける、そして私は 彼らの師となり 教えを説く、彼らの欠点を 私は消し去り、道理を説き、彼らは私を理解するであろう。 彼らが私の傷を癒そう ♡ 私は牧者、羊飼いたちに打たれ 散らされた、仔羊たちを集める、 ♡ ああ ヴァッスーラ、このすべてはもう 本当に間もなく成就する。 来なさい、私のうちに憩い、私もあなたのうちに 休ませてほしい、愛に結ばれ 分ち合いながら ♡

 

はい、わが主よ。

 

「私たち」

 

いつまでも、アーメン

*間があり、それから悲しみを込めて。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P148

‘89・3・29

コーテテル(JU)(スイスの北)の集会に際して与えられたメッセージ

 

あなた方に平和 ♡ 私は主、我が現存を感じなさい、今日は我が僕を通して、語っている。 私はいつもともにいる、人生の一瞬一瞬に ♡ 我が聖心は あなた方の愛を感じて歓喜している― 我が仔羊たち、私はいつも皆を 腕の中に集め 悪魔から匿(かくま)いたいと願っていた! 愛している ♡ 永遠の愛をもって愛している、天国に来て 初めて理解するであろう 嫉妬深い愛をもって。 しかし、その途方もない愛にもかかわらず、我が子たちのほとんどは 私に背を向けてしまった・・・我が受難を忘れて。 そして進化という名のもとに 我が名は彼らにとって 無意味となった。 偶像を与えるなら 飛びついて礼拝する、だが聖なるものは 与えても唾するであろう ♡ 私、あなたの聖なる者は、苦しみを負い からだは この暗やみの世の 不従順、不潔と罪によって 引き裂かれている! ああ 被造物よ! 我が苦しみの叫びは、天使たちが打ちふるえて ひれ伏し、天全体を揺れ動かす。 私の声はまだ 届いていないか、我が娘息子たちよ? 天からの我が叫びに対し あなた方の聞こえない耳に 悪魔たちでさえ 唖然としている・・・血の涙に 目は溢れ、夜昼と、何時間も、あなたを待ち続けている、我が霊を 永遠に拒むのか? 憩う牧場が一つもなく、走って行って生き返らせてくれる泉も 一つとない、この荒れ果てた荒野に 我が声はこだまする。 私はいにしえの牧場に 天の玉座から降って来たが そこは粗末にされ 不毛と化していた、愛を込め 手ずから植えた花は、一つまた一つと 枯れていき、花床は荒れ果て 干からびている、泉はもう空の、ほこりっぽい、暗い穴に過ぎず、毒蛇の巣となった ♡ 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P208

‘89・7・17

 

♡ 我が子よ、私の言葉を聞いて書きなさい ♡ 私は我が群れの大いなる牧者。 群れの番をするように羊飼いたちを訓練した、しかし仲間たちの多くはこの仕事の道具として不適格で、迷子の羊を放っておき、道に迷った羊を群れに連れ戻そうとしない。 一番の友が最大の悲しみをもたらしている、私のからだに最も深い傷を負わせているのは 私自身の手で杖を与えた者たちだ。 彼らは一番の親友、しかし彼ら自身の手で 見分けのつかないほど私は深傷(ふかで)を負い、我が背中は絶え間なく鞭打たれている。 全身が痛みで打ち震え、唇はカラカラに渇いてけいれんする、彼らは怖れなく平和を叫ぶが、平和はなく、合理主義、不従順と虚栄心に魅せられ捕えられている。 彼らは何という悲しみを与えているか なんと私を傷つけていることか!

 

主よ? どうして人によっては、これほど難しいのですか?

 

ひとたび偽りの笏を握るなら手放すのは難しい、人間的な教義や決まりを捨てるのは難しい、自らの欲望に死ぬのは難しい、自らを−卑しめる−衣を纏(まと)うのは難しい、こうした者たちに対してはこう言う: 吠えたけるように、羊飼いたちよ、地面にころがり、わめきなさい、群れの主たちよ、屠殺される日が到来し、肥えた雄羊のように一人ずつ倒されるであろうから。 私は友人の中でも最も美しい遺産を与えた、正しい者たちと肩を並べさせ、私の家督を、任せた、しかしあなた方は我が掟を護らないで、教えを棄て、私が悪と見なすことを行った、私は声をかけた、だが聞こうとしないで、私に従わなかった(*)・・・

 *非常に苦い思いが込められていました。

 

ああ わが神よ、私たちを憐れんで下さい。これらの羊飼いたちの咎をきれいに洗い、罪から清めて下さい。

 

我が小さな花嫁よ、私の悲しみを分かち合うのを許してほしい、

 

お愛しします、主よ、わが神よ、本当にお優しい、慈しみ深いお方、あなたのためだけに生きています、私の眼差しはほかの誰でもなく、あなただけに置かれています、あなたを礼拝します!

 

ああ あなたの愛の言葉は どれほど私の義を癒すか! 愛のどの一滴にも 意味がある、数え切れない霊魂たちが 愛によって救われ得る。 私の石板としてあなたを用いさせなさい。 私の傷を示し 我が悲しみを分かち合ってくれる友として あなたを訪れた ♡ あなたに聖心の傷を顕示している ♡

 

 

 

3.デボラ

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/2巻下P78

 

 人々はイエズス様の受難のことを、「すべて」外的な傷そのものとして話しますが、主の内的なおん傷について考える人が少ないことです!もしこの手記を読む人にとって何か有益なことができるとしましたら、私は無理解の傷ということについてあえて書きたいと思います。主は、ご自分の僕たちによっておん身体に、或いは被造界において空中や地上に造り出される外的な表示のすべてを利用して、苦悩全体、すなわちその「道徳的、霊的」そして身体的苦悩を全て含めて理解されることを望んでおられるのです。しかし、ああ悲しいことに、私たちは非常に度々、鞭打ち、茨の冠、そして十字架上での死で終わるイエズス様の身体的苦痛の玄義のみに留まってしまいます。しかし主のもっとも痛むおん傷とは、人々から理解されず、模倣されることもないということからくるものだということを、いったいいつになったら私たちは理解するでしょうか!

 私は、神父様、修道女、信徒達などが、血の涙、ご出現、奇跡、などの現象について、それに関するまことの思索や反省をすることなく、それらの意味について議論しているのを聞いたことがあります。全能の神様は、ご自分の子供達が神様について抱いている間違った概念によって毎日心が傷つけられておいでになります。なぜなら多くの人々は神について、それは小さな罪も罰し、『涙の谷』で人が死ぬままに放置し、人類から分離して天上にただ座っておられる神、という観念を抱き、つまり神の本質を偽りの観念の中にはめ込んでいるからです。

 聖なるおん父はそこで、その果てしない愛を特別な出来事によって確証を与え、慰め、新たに許すことによって仲介しにきてくださいます。このようなおん父とは、いったいなんと良い父親なのでしょう!このような創造主の愛とは、なんという愛なのでしょう!

 神様は常に手を差し延べておられ、そのみ心は常に注意深く、またあれこれと世話をやいてくださるお母さまでもあられ、永遠の存在、とご自分を呼ばせることにふさわしい唯一の方でいらっしゃいます!