雅歌2・15

 

狐たちをつかまえてください

ぶどう畑を荒らす子狐を。

わたしたちのぶどう畑は花盛りですから。

 

 

 

ルカ13・31−32

 

ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」

イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。」

 

 

 

神の愛と知恵339

 

 地獄には悪い用である凡ての物が見られることができる(それらを列挙してある直ぐ前の338を参照されよ)。これらはへび、さそり、おろち、わに、とら、おおかみ、きつね、ぶた、色々なふくろ、こうもり、ねずみ、はつかねずみ、かえる、いなご、くも、多くの種類の昆虫のような凡ゆる種類の野生の動物であり、また毒にんじんとアコニットであり、植物と土の凡ゆる種類の毒であり、人間に有害な、致命的な凡ての物である。このような物は地上と地中のそのような物と寸分たがわず地獄に現われている。それらはそこに現われると言われるが、しかし地上のようにそこに在るのではない、なぜならそれらは彼らの悪い愛から群がり出てくる諸々の欲念の単なる相応であって、他の者の前にそれ自らをこうした形を以て現わしているからである。地獄にはこのような物が在るため、地獄は死体、糞、尿、腐敗物の悪臭に満ち、これをそこの悪魔的な霊は、動物が悪臭を歓ぶように、歓んでいる。このことから、自然界のその類似の物はその起原を主から得ておらず、始めから創造されたのでもなく、また自然からその太陽を通して発してもおらず、[全く]地獄から発していることを認めることができよう。それらは自然からその太陽を通して発しないことは明らかである、何故なら霊的なものが自然的なものに流れ入るのであって、その反対は行われないからである。そして地獄は主から発しておらず、それ故地獄に住む者の諸々の悪に相応した地獄の物は一つとして主から発していないため、それらは主から発していないことは明らかである。

 

 

 

 

 

啓示による黙示録解説454

 

ダンは種族の中でも最も端にいて、そこから、内部に従属した感覚的なものである教会の究極的なものを意味したため、それでかれについては以下のように言われている―

 

 ダンは道にうずくまって馬のかかとを噛む蛇であり、騎手は後ろ向きに倒れるであろう(創世記49・17)。

 

『馬のかかと』により、感覚的なものである理解の究極的なものが意味され、『噛むこと』によりその究極的なものに執着することが意味され、『騎手』により、真理を歪めるところ、その究極的なものから発した知識の欠如が意味され、そうした理由から『その騎手は後ろ向きに倒れるであろう』と言われている。感覚的な人間は狐のように術策に富み、また狡猾でもあるため、それで主は以下のように言われている―

 

蛇のように細心でありなさい(マタイ10・16)。

 

なぜなら感覚的な人間は外観と迷妄[妄想]とから話し、論じるからであり、もし彼が論じる才能に巧みであるなら、誤謬をことごとく巧妙に、また信仰のみにかかわる異端をも確認する方法を知っているが、しかも真理を認める力では、彼以上愚鈍な者は殆どありえないほどにも愚鈍なのである。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P204

‘90・8月

 

私たちのために狐を捕らえて下さい、今や花開こうとしているあなたの葡萄畑を荒らしている者たちを。

 

栄えある玉座がもう非常に間もなく降って来る。 彼らの(*)隠れ家を暴き その種族は途絶え、全滅しよう。清算する時が近づいている、見ているがよい・・・豊かな食物によって地上を新にし 我が残された人びとをよいもので満たそう。

 

    狐: フリーメーソンたち。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P239

‘90・9・21

 

我がヴァッスーラ 嘆願の声を聞き入れよう そしてあなたの上に祝福を降り注いだように、地球を輝かしい祭服で覆い、栄えある完全さをもってまとわせる、その民は私を礼拝し、顔を地い打ち伏すようになろう。 しかしまず浄めの火を この世代に降さなければならない、新しいどの葡萄畑も荒廃させてしまう狐たちを ねぐらからひっぱり出すために 降って来なければならない。 このことが起る前に 教えておいた、起った時に信じるためです。