君
天界の秘義5044
「牢屋の君[長]」。これは試練の状態において支配している真理を意味していることは以下から明白である、即ち、『君[長]』の意義は主要な[第一義的な]真理であり、かくて支配している真理であり―そのことについては間もなく述べよう―『牢屋』の意義は誤謬の剥奪であり、従って試練である(そのことについては前の5038、5039、5043番を参照)。試練の状態において支配している真理により意味されていることを先ず述べなくてはならない。試練の中にいる凡ての者のもとには主から真理が流れ入り、それが諸々の思いを支配し、治め、試練を受けている者たちが疑惑に陥り、絶望にすら陥る時、その者たちを支えるのである。この支配している真理はその真理であり、また彼らが聖言から、または教義から学んで彼ら自身の中に確認したような真理である。実際そのような時他の真理もまた思い出されはするが、しかしそれは内部を支配はしないのである。時としてその支配する真理は理解の前に明白に示されはしないで、曖昧に隠れてはいるが、それでも依然支配しているのである、なぜなら主の神的なものはその中に流れ入って、心の内部をその中に留めており、それでそれが光の中へ入ってくると、試練を受けているその人物は慰めを受け、苦痛を和らげられるからである。
天界の秘義6766
「彼は言った、たれがあなたを私たちを治める人、君、裁判官としましたか」。 これは、彼が未だ教会の中の紛争を解決するほどに信仰の諸真理において進んでいないことを認めたことを意味していることは以下から明白である、即ち、『彼は言った』は認識であり(このことについては前に再三述べた)、『人、君』の意義は主要な諸真理の中にいる者であり、かくて真理の教義において著しく明るくされている者である。こうした者が表象的な教会では『君』により意味されたのであり、従って『たれがあなたを人に、君にしたか』という言葉により、彼は教会の諸真理において未だそれ程進んではいなかったことが意味されているのである(『君』は主要な真理の中にいる者であることについては、5044番を参照)。そして『裁判官』の意義は論争、または紛争を解決する者であり、ここでは教会内の紛争を解決する者である、なぜならそれは教会に属している者たちを意味している二人のヘブル人の間の紛争であるからである。
天界の秘義6766〔2〕
最高の意義では取扱われている主題は主の人間的なものにおける律法の神的なものの初めのものであったのであるが、今や取扱われている主題はこの律法の進展である、しかし内意では今取扱われている主題は再生しつつある人間における神的な真理の進展である。この進展はその人間が初めて誤謬と真理とを識別することが出来るといったものである、なぜなら彼は彼がその中にいるところの真理から誤謬を、それが対立したものであるため、認めることが出来るが、しかしこの最初の時には教会内の信仰の諸真理の間の紛争を解決することは出来ないのであり、そのことを為すことが出来るためには、彼は更に進歩しなければならないからである、なぜなら人間は継続して明るくされるからである。このことは青年や若い人たちから非常に明白である、彼らはその教会の教義的なものが真理そのものであると信じ、そこから誤謬について判断を下しはするが、未だ教会内の信仰の色々な問題の間の紛争〔相違〕を解決することは出来ないのであり、この才能は徐々に生れてくるのである、それでそのことが出来る人間は更に年齢も進んで、その理解の内部が明るくされていなければならないのである。
天界の秘義8314
『君』は基本的な事柄を意味して、信仰の諸真理について述べられているが、『長』は主要な事柄を意味して、愛の善について述べられているのである。その対立した意義では、『君』は信仰の誤謬について述べられ、『長』は愛の悪について述べられているのである。