決していと高きおん者のみ業を是非してはならぬ

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・4・4

 

神の審判を恐れ、全能のお方のおん怒りを恐れよ。決していと高きおん者のみ業を是非してはならぬ。むしろ自分がどれほど罪科を犯したか、どれほどよいことを怠ったかを思い、自分の不正を糾明せよ。

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P203

 

不可知論者と懐疑論者についていえば、彼らは完全なるものの代わりに欠陥しかみることはない。粗捜しをする批評家たちはいう。『全能の創造主というものがあるのなら、なぜ嵐や地震、日食、苦しみや災い、死といった欠陥がこの世界にあるのか』と。

 このような批評家たちの愚かさは、未完の建物や絵画に不平を鳴らす無学の者にも似ている。それが完成した暁には、彼は自分の愚かさを恥じ、ついには讃嘆の声をあげるであろう。そのようにまた、神は一日にしてこの世界を今の形にしたのでもなく、一日にしてそれを完成させることもなさらないのである。全被造物は完成へと向かって動く。そして、この世の人間が神の目によって、欠けるところ一つなき完全な世界をみることができれば、彼もまた神の御前にへりくだり、『すべては大変よい』と告白することであろう。