結婚は人類の、また天界の天使たちの苗床

 

 

 

 

 

天界の秘義997〔2〕

 

 快楽の凡ても同様であり―その用が高貴なものであるに応じ、その歓喜も更に大きくなっている。例えば、結婚愛の歓喜(について考えてみよう)。この愛は人間社会の苗床であり、またそのことにより諸天界における主の王国の苗床であり、それは凡ゆる用の中でも最大のものであるため、それはその中にそれが天界の幸福そのものとなっているほどの歓喜を持っている。

 

 

 

結婚愛68

 

歓びのすべてが初めから終りまでもこの愛の中に集まっているのは、その用が他の凡ての用にもまさっているためである。その用とは人類の繁殖と人類から発する天使たちの天界の繁殖である、そしてこの用は創造の目的の目的であったため、創造者なる主から人類に与えられることのできる祝福、満足、歓び、喜悦、快楽の凡ての状態がこの愛に集まっていることが生まれている。歓びが用に付随しており、人間のもとに用を愛する愛に従って現存していることは、五官―視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の歓びから明白である。これらの各々はその特殊な用に応じて変化のある歓びを持っている。それで他の凡ての総計ともなっている用を持った結婚愛の感覚の歓びはいかようなものであってはならないであろうか。

 

 

 

天界と地獄315

 

神的秩序について教えられる者はまた人間は天使となるように創造られたことを理解することが出来る、なぜなら人間の中には秩序の究極的なものが在って(304)、その中に、天界的な、天使的な知恵に属するものが形作られ、更新され、また増大されることも出来るからである。神的秩序は決して途中で停止して、そこに究極的なものもなしに何かを形作りはしないで―なぜならそれはそこではその完全と完成とを持たないから―究極的なものへ進み、そしてそれがその究極的なものに達すると、そのとき形をとり、またそこに集められている手段によりそれ自身を更新し、更に増大させるが、そのことは生殖により行われている。それゆえ、究極的なものの中に、天界の苗床が存在している。

 

 

 

天界と地獄384

 

 地上の結婚は人類の、また天界の天使たちの苗床であるためー天界は、すでに述べたように、人類から発しているーまたそれは霊的な起原、即ち、善と真理との結婚から発しているため、また主の神的なものは第一次的にはその愛の中へ流れ入るため、それは天界の天使たちの眼には最も聖いものである。他方姦淫は結婚愛に反しているため、それは天使たちから汚れたものとして認められている。なぜなら彼らは結婚の中に天界である善と真理との結婚を見るように、姦淫の中に地獄である誤ったものと悪いものとの結婚を見るからである。それで彼らは姦淫が口に出されるのを聞くのみで、面をそむけてしまう。これがまた人間が歓喜から姦淫を犯すとき、天界はその者に閉じられ、彼はもはや神的なものを承認せず、また教会の信仰を何一つとして認めない理由である。地獄にいる者は凡て結婚愛に反抗していることはそこから放出されるスフィア[霊気]から私は認めることができたが、それは結婚を解消し、破壊しようとする不断の努力に似ていた。そのことから地獄を支配している享楽は姦淫のそれであり、姦淫の享楽はまた善と真理との連結をーその連結が天界であるがー破壊することを楽しむものであることが明白となった。従って姦淫の享楽は奈落の享楽であり、天界の楽しさである結婚の楽しさとは正反対のものであることが生まれている。

 

*8。姦淫は汚れたものである、9961、10174。天界は姦淫に対しては閉じられる、2750。姦淫の中に歓喜を認めた者らは天界に入ることは出来ない、539、2733、2747−49、2751、10175.姦淫は無慈悲であって、宗教上の主義も持たない、824、2747、2748.姦通者の考えは汚れている、2747、2748。他生では彼らは汚れたものを愛し、汚れた地獄にいる、2755、5394、5722。聖言では姦淫により善の不善化が意味され、淫行により真理の歪曲が意味されている、2466、2729、3399、4865、8904、10648。

 

 

 

天界と地獄385

 

身体の生命内で得た慣わしから私を独特な狡知を弄して悩ませ、しかもそれを穏やかな、いわば波のような流入でー気質の善良の霊の流入は普通そうしたものではあるがー行った若干の霊がいたが、しかし彼らの中には狡知とかそういった他の悪が秘んでいてそれが彼らを駆って他を罠にかけ欺いているのを私は認めたのである。ついに私は彼らの一人と話したが、彼は世で生きていたときは、軍隊の指揮官であったと言われた。私は彼の思考の観念の中に好色がつきまとっているのを認めたので、一瞬にして言いたいことや多くの事を完全に表現する表象的な物をもって霊的な言葉で、彼と結婚について話した。彼は身体の生命にいた頃は姦淫を意に介していなかったと言った。しかし私は、彼に以下のように話すことができたのである。姦淫を犯している者には、その者が姦淫の中に感じる享楽とその享楽から心が動かされるため、姦淫は不法なものであるとは思われず、合法的なものであるとさえ思われるけれど、それは忌むべきものである。それがそうであることを、あなたは、結婚は人類の苗床であり、従ってまた天国の苗床であり、それゆえそれは決して汚してはならないものであって、聖いものと考えなくてはならないという事実から知ることが出来よう。またあなたは今は他生におられ、認識できる状態におられるから、知っているに相違ない以下の事実からも知ることが出来よう。即ち、結婚愛は主から天界を通って降り、その愛から、それを両親として、天界の基礎である相互愛が発している。またあなたは、姦通者は天界の社会へ近づくのみで、自分自身の悪臭を認め、自分自身を地獄へ真っ逆さまに投げ下ろすということも知ることが出来よう。少なくともあなたは結婚を破壊することは、神の秩序にも、人間の秩序にも反しているため、神の律法に反し、凡ゆる王国の国内法にも反し、また理性の純粋な光にも反していることを知ろうと思えば知ることはできたのである。その他のことは言わずもがなである、と。しかし彼は自分は身体の生命ではそうしたことは考えてもみなかったと答えた。彼はそれがそうしたものであるか、否かを論じたいと願った。しかし、彼は以下のように言われた。真理は議論を許さない。なぜなら議論は人が楽しむところを、引いては悪と誤謬とを支持するからである。あなたは、今言われた事柄について、それは真理であるため、先ず考えなくてはならない。または少なくとも何人も他人からしてもらいたくないことを他人にもしてはならないという世で充分に知られている原理からさえもそのことについて考えなければならない。それで誰でも結婚の最初の期間ではその妻を愛しているようにーまたあなたも怒り猛った際には、口にもされたのであるがーあなたの愛された妻を誰かがそのように欺かれたとするなら、あなた自身もまた姦淫を憎まれなかったであろうか、どうかと考えてみなくてはならない。あなたは有能な方であるから、他の人以上に姦淫を非難して、それを地獄のものとされなかったであろうか、どうかを考えなくてはならない、と。

 

 

 

結婚愛254

 

「正当な分離の第三の原因は結婚以前の不能である」。これが分離の原因である理由は、結婚の目的は子孫の繁殖であって、それが不能のために不可能となるということである。そして彼らは事前にそのことを知っているため、その結婚した配偶者からその希望を、彼らの結婚愛を更に育て、強めもする希望を故意に奪い去るのである。

 

 

 

霊界日記3196

 

霊界日記6110(79)

 

結婚は人間の苗床であり、かくて天界の苗床である。

 

 

 

 主の聖言11

 

「自然的なものと霊的なものと天的なものとは相応したものによらなくては些かも一致していないといったものであり、そのことがまた以下のことの理由ともなっているのである。即ち、人間は自分たちが霊たちと共になっていることを知ってはいないし、霊も自分たちが人間とともになっていることを知ってはいないのである。が、それにもかかわらず、彼らは絶えず共になっているのである。なぜなら人間はその思考と情愛の方面では霊たちの真中にいない限り一瞬間も生きることは出来ないし、霊もまた天使も人間とともにいない限り一瞬間も生きることは出来ないからである。その理由は最初のものから究極のものに至るまでも、かくて主から人間に至るまでも不断の連結があり、創造から発している連結は相応したものにより遂行されていて、天使たちと霊たちとを通して流れ入っているためである。天的なものはことごとく霊的なものへ流れ入り、霊的なものは自然的なものへ流れ入って、形体的なものと物質的なものであるところのその自然的なものの究極的なものの中に終結して存続するのである。こうした究極的なものが―その中へ媒介的なもの[中間的にあるもの]が流れ入っているのであるが、そうした究極的なものが―なくては、空中に建てられた家のようなもの以外の存続はありえないのであり、それで諸天界の基底と土台とは人類である。」