警告

 

 

天界の秘義7273

 

「わたしはわたしのしるしと不思議とを増し加えよう」。これは、凡ゆる種類の警告を、またいかような物も缺けはしないことを意味していることは、『しるしと不思議』の意義から明白であり、それは真理を確認させるものであり(3900、6870、7012番)、また神的な力〔神の力〕の手段であり(6910番)、ここでは警告である、なぜならそのことにより彼らは自分たちが誤謬の中にいることを見もし、かくて警告されたからである。誤謬の中にいる者らに凡ゆる種類の警告が与えられ、いかようなものも缺けはしないと言われている理由は、悪の中にいる者らの堕地獄は彼らが他生にいると忽ち行われるのではなくて、先ず訪れられた後に、即ち、点検された後に行われるということである。その点検が為されるのは、彼ら自身が自分たちは(それとは)異なった生き方をしなかったために地獄に堕ちない訳には行かないことに気づくためであり、また霊たちと天使たちも彼らがそうした性格を持っていることを知るためであり、それで彼らは彼ら自身によっても、また他の者によっても最早赦されることが出来ないのである。その秩序、即ち、それに従って彼らが点検されるその秩序は神的な真理の秩序であり、それは、何であれ、いかようなものも缺けはしないといったものである。地獄に堕ちつつある悪い者らに対する真理の神的なものの秩序は、救われつつある善い者たちに対する真理の神的なものの秩序とは異なっている。その相違は、地獄に堕ちつつある悪い者らに対する秩序は神的な善〔神の善〕から分離し、かくて慈悲から分離した真理の神的なものの秩序であるということである、なぜなら彼らは神的な善〔神の善〕を受け入れず、かくて慈悲を斥けてしまったからである。しかし救われつつある善い者たちに対する秩序は、神的な善に連結し、かくて慈悲に連結した真理の神的なものの秩序である、なぜなら彼らは神的な善を受け入れ、かくて主の慈悲を受け入れたからである。徐々に、悪い者らは秩序の応じて点検されるに従って、また審かれ、地獄に堕ちるのである。このことは、彼らが地獄へ堕ちる以前には、凡ゆる種類の警告が、その一つも缺けないように、与えられていることを示している。それでこれらが、その長子が殺され、エジプト人がスフの海で死滅する以前にエジプトで行われたしるしと不思議とにより意味されている事柄である―なぜならスフの海は地獄を意味しているからである。

 

 

天界の秘義7295〔2〕

 

この予言的なしるしは、とりついて悩ます者らに与えられるところの、断念するようにとの最初の警告を意味しているのである。なぜなら他生で正しい者にとりついて悩ます悪い者らが、先ず世からそこへ来ると、身体の中で人間として生きていた時のように、善良な霊たちと天使たちとが彼らに接合しているからである、なぜなら悪い人間でさえも、もし欲するなら、自分自身を天界に向けて、そこから流入を受け入れ、改良されることが出来るために、そのもとにまた天使が接合しているからである。最初彼らが天使たちと交わるのは、彼らの生命の一切のものは彼らについて行くからには、そうした理由のためである。しかし彼らが、世におけるその生活のため、天界から真理と善との流入を受けることの出来ないようなものであるなら、その時は彼らから天使たちと善良な霊たちは徐々に退いて行くのであり、それでこれらの者が退くにつれて、彼らは益々合理的なものでなくなるのである、なぜなら合理的なものになることは主から天界を通して来るからである。