家族

1.家族

2.子供は父の気質の中へ生まれる

3.子供がないことは善と真理とを剥奪されることを意味

 

1.家族

 

天界の秘義3129

 

「レベカには兄があった」。これは自然的な人における善の情愛[善に対する愛]を意味していることは、聖言の『兄』と『妹』の意義から明白である、すなわち、『兄』は善の情愛であり、『妹』は真理の情愛である(367、2360、2508、2524番を参照)。なぜなら自然的な人の中にも、合理的な人におけるように、血縁関係が在り、またその中に凡ゆる物の相似性が在るからである(2556、2739番を参照)。そして心が、その合理的なものも、その自然的なものも、『家(または家族)』と呼ばれて、そこに両親、兄弟、姉妹、血縁、その他の親類が秩序をもって存在していることもまたこのことから発しているのである。

 

 

2.子供は父の気質の中に生まれる

 

天界の秘義6716

 

 主はいかようにしてその人間的なものの方面で律法の神的なものに、すなわち、真理自体になられたか、である。主は他の人間のように生まれられ、子供であったときは他の子供のように話すことを学ばれ、その後知識において、また理知において、知恵において成長されたことは知られている。

 

 このことから主の人間的なものは生来神的なものではなくて、主はそれを主御自身の力により神的なものになされたことが明白である。主はそのことを主御自身の力により為されたことは、主はエホバによりみごもられたまい、そこから主の生命の最も内なるものはエホバ御自身であられたためである。なぜなら「霊魂」と呼ばれているところの、人間各々の生命の最も内なるものは父から来ているが、「身体」と呼ばれるところの、この最も内なるものが(自らに)着けるものは母から来ているからである。

父から発している生命の最も内なるものは、母から発している外なるものの中へ絶えず流れ入って、働きかけており、胎内の中にあってすら、その外なるものを最も内なるもの自身に似たものにしようと努力していることは、子供たちから、すなわち、子供たちは父の気質の中へ生まれてきており、時には孫やひ孫が祖父や曽祖父の気質の中へ生まれてくるということから認めることができよう。このことの理由は、父から発している霊魂は、母から発している外なるものを、霊魂自身に似たものに、霊魂自身の映像になそうと、絶えず欲しているということである。

 

 それが人間の事実であるため、主にあってはとくにそれが事実であったことを認めることができよう。主の最も内なるものはエホバ御自身であったため、それは神的なものそれ自身であったのである。なぜなら主はエホバの独り児であられたからである。

 

 

3.子供がないことは善と真理とを剥奪されることを意味

 

天界の秘義4835[3]

 

それで子供がないことは善と真理とを剥奪されることを意味し、かくてその家には教会を表象するものがもはや存在しなかったことを、従って、それは交わりを絶たれたことを意味したのである。