香り
嗅覚/
天界の秘義925
「エホバは休息の香りをかがれた」。
[2]『香り』はよろこばれ、受け入れられたものを意味しており、かくてユダヤ教会では香りはエホバまたは主によろこばれ、またエホバまたは主に帰せられたものを表象したのものであったことは、仁慈の善と仁慈から発した信仰の真理とは甘美な歓ばしい香りに相応しているためである。この相応の事実とその性質とは天界における霊たちと天使たちとのスフィア[霊気]から証明できるのであった、天界では明らかに認識されている愛と信仰とのスフィアが在るのである。そのスフィアは善良な霊が、または天使が、または善良な霊たちの社会が、または天使たちの社会が近づいてくると、そのとき、主が良しとされるときはいつでも、その霊の、天使の、または社会の性質は愛と信仰との方面ではいかようなものであるかが、遠方からでさえも、すぐさま認められるが、更に接近してくるならば、更に明白に認められるようなものとなっている。これは信じ難いことであるが、しかし完全に真である。このようなものが他生に於ける伝達[連なり]であり、またこのようなものが認識である。それ故、主が良しとされるときは、霊魂または霊の性質を多くの方法で調査する必要はない。なぜならそれは彼が近づくと同時に知られることができるからである。こうしたスフィア[霊気]に、この世の香りのスフィア[発散気]が相応しているのである。それらがそのように相応していることは、主が良しとされるときは、霊たちの世界における愛と信仰とのスフィアは甘美な快い香りに変化して、明らかに認められるという事実から明白である。
天界の秘義3577
『かおり』が認識を意味している理由は、他生で認識されるところの膳のいくたの歓喜と真理のいくたの快いものとはそれに相応しているかおり[におい]によりそこにそれ自身を明らかにしているということであり(1514、1517−1519番を参照)、そのことからまたいくたの相応した物から、かおりは認識以外の何ものでもなく、しかし霊的な認識に相応している自然的な認識であることが明白である。