観想

1.マリア・ワルトルタ

2.ヴァッスーラ

3.トマス・ア・ケンピス

 

1.マリア・ワルトルタ

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P240

 

聖母がマグダラのマリアに:

 

「今のところ、より強くなったと感じ、もう少したてば、自分のことをもっと幸せと感じるでしょう。喜びの時にも苦しみの時にも、平和の時にも戦いの時にも、私たちの心は、黙想の大洋の中に全く浸り切る必要があるとあなたに信じてもらいたいのです。これは、世間とさまざまの偏見を是正するためと、より高く登るために新しい力を作るためです。

 イスラエルでは、私たちは口祷を使い、また、それを悪用しています。これは全くむだで、神さまは、それをきらっているという意味ではありません。ただ、心を神の方へ向上させる黙想は、魂にはずっと利益になります。神の全くの完全さを観想して、また、私たちのみじめさ、あるいは―批判するためではなく同情するため、また、よりよく理解するために―多くの霊魂のあわれさを考えて、罪に落ちないように私たちを支えてくださった、または倒れたままに残さないように私たちゆるしてくださった主に対しての感謝で、私たちはこれによってよい祈りに至り、つまり愛するに至るのです。

なぜなら祈りは、実際の祈りであるためには何よりも愛であるべきだからです。そうでなければ口祷では、単なる唇のつぶやきで、そこに心が入っていないからです。」

 

「しかし唇が、まだまだ多くの世俗的な言葉で汚されている時に、神と語り合うのはよいでしょうか。私のやさしい母であるあなたが私に教えて下さったように、私が祈りに専念する時、神に向かって“私はあなたを愛しています”と言いたい私の心を抑えようとします」

 

「まあ、なぜ?」

 

「私のような心を神にささげれば、何だか汚れた供え物をささげるような感じがして・・・」

 

「娘よ、そうしないで! 何よりもまずあなたの心は御子のゆるしによって新たに聖別されたもので、そして、おん父は、そのあなたがもらったゆるししか見ておられません。しかし、もしイエズスがまだあなたにゆるしを与えず、そして、あなたはだれも知らない孤独さの中で神に向かって“私は、あなたを愛しています。父よ、私のみじめさをおゆるしください。なぜなら、私は罪によって、あなたを悲しませたのを後悔しています”といえば、マリア信じて! 父なる神はご自分の方からあなたをゆるし、あなたの愛のその叫びをどんなに喜ばれるか。自分自身を愛に全く委託しなさい。その愛をむりに抑えてはなりません。むしろそれは、猛烈な炎のようになるように努めるべきです。炎は物質的であるものをすべて消滅させます。しかし、空気の分子を一つも破壊しません。なぜなら、空気は非物体的だからです。むしろ炎は風が運んで来る非常に細かいちりを清め、それによって空気を軽くします。魂に対しての愛もそれに似たようなものです。その愛は、神がゆるせば人間の物体的な面をもっと早く消滅させ、しかも霊を破壊しないのです。むしろその霊の生命力を増し、そして神への上昇のためにより清くするものです。向こうにいるヨハネをごらんなさい。まだ本当に子供みたいです。それでも彼は鷲であり、すべての使徒の中でも一番力強いものです。それは、彼が豪毅、霊的形成の秘訣である愛に満ちた黙想、念祷を理解したからです」

 

「しかし彼は清く、私は・・・。彼は子供で、私は・・・」

 

「それなら熱心もののシモンをごらんなさい。あの人は子供ではありません。あの人は長く生き、戦い、人を憎みました。あの方はこれを真実に告白しています。しかし、そのシモンが黙想することを習いました。それによって彼も非常に高いところまで行った、と信じてください。ごらんのようにあの二人はよく一緒にいます。それはお互いに共通点があるからです。二人は心では同じ年で、そしてまた同じ念祷という手段をもってそこに達したのです。それによって子供が心では大人になり、そして、それによってもう年とって疲れているもう一人は力強い男らしさに戻りました。また、使徒ではないが、黙想に対しての自然の傾きによって―イエズスの友人になってから自分にとって、それは霊的な必要となったがもはや非常に進んでいる人がいます。それは、あなたのお兄さんです」

「兄のラザロ・・・。(後略)」

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P318

 

黙想することに慣れなさい。そうしないと何時までも子供の状態を抜けきれません。いや、もっと悪い状態になります。子供には罪がないが、あなたたちはそうではないから、霊的な光りが曇ってきています。あなたたちは何時も聞くが、聞いたことを心に留めない。それは知恵が活気づくどころか眠っているからです。

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P362

 

「私の師よ! 私はもはや、いつでも希望し信じます。私は、もう疑うことはありますまい。主よ、決して。私は信仰で生きるものとなりました。あなたは私に信じられないことを信じるという能力をくださいました」

 

「そして、あなたマルタは?あなたも習いましたか?・・・いいえ、まだ・・・あなたは私のマルタである。しかし、まだ私の完全な礼拝者ではない。あなたは、なぜ、いろいろ活動し、観想をしないのか?それはもっと聖なることです。ごらん、あなたの力が地上のことにあまり向いているがために、時として直しもつかないとみえるこの世のことは、神ご自身が干渉されないならば、癒しようのないものです。そのために人間が信ずる、また観想する必要があるのです。考え、心、肉体、血、という全人間のすべての力をもって徹底的に最後まで愛することです。くり返していうが、“人間のすべての力をもって”。

 

マルタ、私はあなたが強いものであってほしい。完全なものであってほしい。あなたが服従するのを知らなかったのは、全く信ずる、また希望するのを知らなかったからです。しかし私はそのことであなたをとがめるのではない。マルタ、私はあなたをゆるします。今日、私はラザロをよみがえらせた。今、あなたにもっと強い心を与える。彼には命を返した。あなたには、完全に愛し、希望し、信ずるという力を注ぐ。今から、あなたたち三人は、幸せで平和でありますように。この日々にあなたたちを侮辱した人たちをゆるしなさい」

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P153

 

 貴女はほとんどすべての熱心なカトリック信者がそうであるように、あまりにも決まり文句に囚れていた。わたしは貴女を自由にしてきた。わたしは貴女を放してやった。わたしは貴女の霊魂を、決まり文句で表明される限界の、信心、規則のけち臭さの大洋の外に、念祷の神秘の海の果てしない空間に放った。わたしは貴女をくるみ、吸い込み、拉致し、念祷の火の中での恩寵に浴させた。

 

 貴女は足枷をはめられた小さな一羽の雀だった。今、貴女は飛翔し、支配し、太陽を凝視し、それに強められ、それに向かって上昇する鷲だ。同心円を描いて飛翔する鷲のように、ますます上昇しなさい。永遠のわたしは、高みに在って、愛の認識のうちに貴女を官能の彼方に連れて行くために待っている。

 

 常に信頼と迅速さをもって呼び声に従順しなさい。愛の風に身を任せなさい。それは貴女を支え、貴女のじゃまはしない。それはわたしから出て貴女をわたしのもとに引き上げるために吹いているのだ。わたしの果てしない大洋の一滴よ、滅却するのだ。わたしの果てしない輝きの中の光の火花よ、滅却するのだ。貴女の花婿に所属するために入りなさい。貴女が所有するように、わたしの数々の財宝の扉を貴女に開く。

 あなたを愛している!

 

 

2.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P87

‘91・3・9

 

主の最も喜ばれる祈りは何かを、マックギニー神父と話していましたが、沈黙の中でする観想が一番では、と話し合ったところです。―主よ?

 

私です。依りかかりなさい 私はあなたを支え 力となる。 そう 実に、我がヴァッスーラ、何より沈黙が 最も効果的な祈りです。 我が沈黙のうちに 私と出逢いなさい。 霊が私のほうに引き寄せられ 私のうちに、我が沈黙のうちに 吸い込まれるようにしなさい。 あなたを虜にさせなさい 我が子よ。私の愛が霊魂を包み込むのを許しなさい。 心を開き あなたの神に 所有地として占領させなさい。 私は在る がこの所有地の主。私は在る が増し加えるのを自由にさせなさい。 私は在る があなたのうちに 功徳を増やすに任せなさい。

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P24

‘99・3・3

 

私のうちに、我が心のうちに引きこもり、たえざる観想の状態でいてほしい、霊魂は静けさのうちにとどまり 我が甘美さに酔って。 我が心より啓示と指示を求めつづけて、それらをこの世代や 後につづく全ての人びとに伝えなさい。 ♡ 聖霊はこれからも その崇高な光をあなたの知性に注ぐという好意を示され この光によってあなたは教会を美しく飾ろう。 小さいまま、本当に小さいままでいなさい、そうするなら聖霊はいっそう有効に力を発揮される。 愛をこめて使徒信条(クレド)を宣言し 私どもの光のうちに前進して 私どもの豊かさ、慈悲、あなたに示している優しさを決して疑わないように。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P43

 

あなたのどうしようもないみじめさにもかかわらず、こうした仕方で共にいるこの瞬間、そしてあなたが、聖なる観想のうちに包みこまれ、こうした仕方で私と過ごすいっ時は、私を尊んでなされる最も厳かな祝祭さえ この観想の瞬間ほどには 私を和ませ喜ばせはしない。我が神聖な現存があなたに臨む時、我が骨からの骨、肉からの肉となるように形造った者を前に 私は歓喜する。 私は、自らの手で神殿を一つ立ち上げた、そこで私自身の善いわざを 楽しまないはずがあろうか?

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/第10巻/P49

 

平静でいるように、我が花嫁よ、そして仕事を負い過ぎないように。あなたのうちに 薔薇が一輪育って、生き生きと花咲かせた、そして沈黙のうちに黙想して坐り、私どもを観想し、あなた自身を私どもと一致させるときは、その薔薇のかおりが 最も優美な香気を放って、私どもを包む、その間私どもはあなたを見護り、あなたのうちに私どもの光を放ち、生き生きと花咲かせている。私どもの観想をやめてしまうなら、あなたの薔薇は色褪せて 美しさを失う・・・そこで神なる花婿は言っておく:

 

我が抱擁から引き離すもろもろのことに気を取られ、私を観想するのをやめないように。 まこと愛する者よ、あなたの言うことすべてに異議を唱える者たちが、自分たちの気まぐれによって指図するのを許してはならない、あなたを私のもとに連れて来るよう 我が天使の位階中の最も高貴な天使たちの一人を あなたに送ったゆえ。 この天より遣わされた君子は あなたが我が独り子と共に、天の王宮に入れるように この世からあなたを引き離した。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P67

 

我が預言者たちには 聖なる私を観想するように教え 我が現存に直接触れて歓び その甘美を味わうよう我が高貴さに近づく許しを与えた それゆえ、ただ一つの神学、そして力を込めて強調するが、唯一の真の神学とは 神なる、私を観想することであり至福のヴィジョンを前もって味わうことである。 これこそが 真の聖なる神学。 我が心の内なる神性と 並外れた霊感を手に入れ、我が民に火のようにそれを宣言するのは、自らの神学を書面に移し、それによって自ら預言者に変じた博学な神学者ではない、むしろ私自らが、我が愛の油注ぎで聖別し、我が心の深淵にしっかりと埋め込んだ者たちである。

 

ああ、ヴァッスーラ、そしてあなたが 私の名によって彼らを正す時、むき出しの敵意と 耳さえ貸さぬ頑迷さを伴った、しのび笑いや尊大な言葉が いく度地上から聞こえてきたことか!そう、罪人たちは叱責を軽く脇に追いやり、好き勝手にするあらゆる口実を見つけだす。

 

我が預言者たちには 私自身を、言語を絶する仕方で、顕している、そう、この地上にまだいながらも 彼らはこの恵みを自覚している。 私は自らを彼らに装わせる、彼らの裸身を覆い、私自身で飾る 彼らはそれを知っており、観想のなかで 私の聖なる現存を意識している。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P91

 

覚えておくように、愛する者よ、渇くときは、あなたの花婿、私のもとに、来なさい、小さな者よ、いつでも飲める水を用意しておく。罵倒や、悪意の弁舌には 耳を貸さないように。 聖霊がご自身の聖なる印をあなたに刻印し 友として、私どもに属するものとされた。来て 私どものうちで憩いのひと時を楽しみなさい。 そして通りすがりの人が、「あなたはどこで憩うのですか?」と尋ねるなら こう答えるがよい、「私の憩いは イエス・キリストの聖心の中、御父のみ心に最も近いお方の中」と

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち10巻P125

‘00・9・28

 

我が計り知れない宝と 我が言葉の驚くべき不思議を 観想できるよう 目を見開いていなさい。 私の栄光を 観想することは、我がヴァッスーラ、あらゆる神学にまさると 言ってきた。 ああ、この世で 神のうちに分け入り その現存をたのしむ以上のことがあろうか?至高の神なる、私を見る以上に 素晴らしいことがこの世にあろうか? 荘厳と権威をまとう者が あなたに語りかけている。 私は超越し 栄光の高みで君臨するゆえ永久に眼差しを高くあげていなさい そうするなら救われよう。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P136

‘06・10・31

 

教えてほしい、我が心を理解する以上の歓びや栄光が 地上にあろうか? 私が理解力の神聖な光をその知性に注がなければ 人にどんな能力があろうか? 一切を超越し あなたに語りかけている聖なる者は その声の調べであなたの渇きを満たし こうしてすべての国たみに 我が神聖なる言葉を伝えて行く。 我が言葉とは 何か? 我が言葉とは 聖霊を通してあなたの思考を啓発し 神の至高の知識に分け入らせるための 霊的な観想である。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P239

‘02・8・7

 

以前にも言ったが、今の言葉を宣言するには 計り知れない恵みを受ける必要がある。 これらの言葉を宣言できないなら すべてを背後に置き去り 私のもとに今来て 悔い改めなさい! それから 聖霊が降りて来てあなたをその光で侵略し 霊魂をカテドラルに変えるのを許すがよい・・・

 

ああ そうしたなら、どれほど聖霊は、悦びもって、あなたに必要なものを供えて下さるだろう! 私が教えてきた基礎を 聖霊はあなたのうちに据えて下さる、すなわち あなたの神なる私を観想するという 真の神学を。 こうした観想のうちに霊魂は 恍惚として高みへと飛翔しつつ 神なる私を深く観想するだろう。 そのとき我が統治が あなたのうちに始まる。 そのとき、聖霊は 変容もたらすご自分の息を あなたの上に吹きかけ 英知ご自身を通してあなたの霊に 徐々に神の真実を現して下さる。 聖霊は この時代の哲学者や賢者たちが今日に至るまで 愚かしくばかげていると呼ぶすべての事柄を明らかにしよう。あなたは 我が愛の崇高さと、私が霊魂に備えることができる神の豊かさと そこからどんな利益が得られるかを 聖霊の光によって理解し 認識しよう。 私どもがあなたのうちに住まい あなたも私どものうちに住まうなか 私はあなたを聖化する。 聖書でもこう書かれている、「私のうちに住まいを定めなさい、私もあなたのうちに住まいを定める。」あなたは 真のぶどうの木(*)の一部となろう。

 

そう! 私は 霊魂のうちに私自身を 恵みとして授ける。 あなたに、神なる、私は、魅了された。その弱さにもかかわらず あなたのうちに深く住まうほどに、魅了されている。 我が三位一体の聖性を あなたが観想すればするほど、私をいっそう理解しよう。 私をいっそう知れば知るほど さらにいっそう私の似姿をあなたのうちに反映させる。

 

*イエス・キリスト。

 

3.トマス・ア・ケンピス

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・9・7

 

 どんなに高い法悦を味わい、どんなに天来の光明に照らされた聖人でも、はやかれおそかれ誘惑に会わないような方はひとりもなかったのである。

 なんとなれば神のおんため、何かつらい悲しいことに会い、鍛えられた人でなければ、神についての高尚な観想をする値打ちがないからである。