寛大

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P246

‘02・9・8

 

私は復活 そして私を通してあなた方皆を 復活の息子 娘たちとした。 あなたが罪にとどまり、隣人を許さず、心を恨みで満たして硬直したままなら、至高なる神をその目で見るのを拒まれる。 罪の負債があるなら 全き聖である霊はご自分を現わさない、悔い改めの行為を そして愛の行為を、意識的に拒んだゆえに・・・

 

この罪にとどまっているなら 私にこう言ったと同じ、「師よ、私は自分の墓にいるほうがいい。 死んだまま 死人の間で生きるほうを選びます。」肉がすでに腐り始め、朽ちかけていながら、まだいのちを拒むのか? あなたが自分の罪を否定するのは いのちを否定するのと同じ。 それよりも私のそばに来なさい そして聖人たちや 地上でも完徳に達そうとしている人たちのそばに 近よりなさい、私を観想している間 心が済みきっているこの者たちを、私は 神聖なる富と天上の神秘のうちに浸している。

 

 同質にして聖なる 三位一体の神よ、

 この時代の 神にたいする背きと否定は

 キリストの教会の一部を 崩壊させました。

 私たちの あまりに貧しい状態では、

 どうやって自らのうちに キリストの御からだを認められましょう?

  

 いのちない物体のように 私たちは散らされています、 主よ、

 自我と 傲慢の霊によって引き裂かれて。

 私たちのうちに 愛というはっきりした信仰のしるしが

 どこに見いだせるでしょう?

 

 そこにあるのは常に対立への傾き、

 過去の恨みさえ いまだ生きています、(*)

 多くの心のうちには 執念深い霊が住みついているのです。

 

*ここで私の思いは 正教徒の聖職者たちの中には、少なくとも、分離以来カトリックの兄弟たちに恨みを抱きつづけている方たちもいるという 過去の経緯へと引き寄せられました。

 

ああ、寛大さという 全き−祝福された行為、愛徳の行為よ、あなたを迎え入れた者たちは 幸い! あなた方には もはや染みがなく 贖い主より 額に口づけを受けよう。 自らの罪を捨て去る者は 幸い、宝なる、私と見(まみ)えて、聖性の小道に分け入ろう。 我が十字架を 喜んで熱烈に抱擁する者は 幸い、至福のヴィジョンのうちに分け入って、霊魂は 至上の歓びを知るだろう!

 

世代よ、今日私は、不思議と我が声の響きによってあなた方を圧倒している。 負っている負債と 罪の泥沼から引き出そうと 私は天国の歌をうたい 我が心の寝所の秘密を見せた、あらゆる悪より放免しようと私は絶え間なくあなたの前にいる。 もしあなたの花婿がその目で見えないとすれば、それは罪の瘡蓋(かさぶた)が目を封じているため・・・

 

すでに言ったように、すべての暴力的な思いを捨て去り 誰かに対する怨念を握りしめて サタンに付け入られることのないように、さもないなら天の御父は あなたを厳しく扱われよう。 自分に負債のある仲間の僕を 無慈悲にも牢に投げ込んだ悪い僕のようであってはならない。

いのちを失ったままではいないように、むしろあなたに抱く 我が言葉に絶する慈悲を思いなさい、世代よ。 そこで 私が述べた一切を実践し 恵みの聖霊を受けなさい。 一つでいるように ♡