1.聖書

2.エホバの声

3.真理の神的なもの

4.『雷の息子』は、愛のものである情愛から天界の諸真理を受け入れる者たちを意味

 

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マルコ3・17

 

ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。

 

 

 

 

2.エホバの声

 

 

天界の秘義218

 

『神エホバの声が庭園の中にその声自らに帰る』ことにより彼らの恐れた内なる指示が意味されていることは聖言の声の意義から明白であり、そこでは『エホバの声』は聖言そのものを、信仰の教義を、良心を、または内的に注意することを、そこから発してくる凡ゆる譴責[非難]を示すために用いられており、そこから雷が『エホバの声』と呼ばれている、例えばヨハネの書には―

 

天使はししが吼えるように、大声で叫んだ、彼が叫んだ時、七つの雷がその声を発した(黙示録10・7)。

 

これはその時内なる、また外なる声とがあったことを意味している。更にー

 

第七の天使の声の日に神の秘義は完結するであろう(黙示録10・7)。

 

 

 

 

3.真理の神的なもの

 

 

天界の秘義7573

 

その実情は地上の雷の場合と同じである。高い山々では雷は穏やかな、優しい音として聞こえるに反し、下の地上では戦慄すべき音として聞こえ、同じように天界では真理の神的なものは穏やかで優しいが、地獄では戦慄すべきものとなっているのである。

 

 

 

天界の秘義7573[2]

 

雷である『声』は天界にいる者たちを明るくし、完全なものにするが、地獄にいる者らを戦慄させ、剥奪させてしまう真理の神的なものを意味していることは以下の記事から明らかである―

 

 

 

 

4.『雷の息子』は、愛のものである情愛から天界の諸真理を受け入れる者たちを意味

 

 

黙示録講解9

 

主はシモンにペテロの名を与えられ、ヤコブとヨハネにはボアネルゲの名を与えられた、ボアネルゲは雷の息子を意味している(マルコ3・16、17)。

 

 なぜなら『ペテロ』は、ペトラ[岩]のように、善から発した真理、または仁慈から発した信仰の方面の主を意味し、『雷の息子』は、愛のものである情愛から天界の諸真理を受け入れる者たちを意味するからである。(中略)『雷』は天界から発する神的な諸真理[神の諸真理を意味し、7573、8914番、『稲妻』[電光]は、その諸真理の光輝を意味し、8813番、そこから雷はまた『声』と呼ばれている、7573,8914番]。

 

 

 

 

 

黙示録講解1014

 

18節。「声、稲妻、雷があった」は、理論、理解の暗愚、悪から発した誤謬の結論を意味している。このことは『声、稲妻、雷』の意義から明白であり、それは、その許には、愛の如何ような善も信仰の如何ような真理ももはや存在しない教会の者らに言及しているときは、理論、理解における暗愚、悪から発した誤謬の結論を意味するのである(前の702、704他を参照)。聖言における『声、稲妻、雷』の意義は、愛の善の中に、信仰の真理の中にいないで、互いにそれらについて話し合っている者らのもとで霊界に見られる外観から発している。理論である彼らの談話は『声』により意味され、真理と誤謬との争いは『稲妻』により、その結果真理と善とを斥けることは『雷』により意味されている。そうしたものが相応により霊界で発生するため、自然界における似たものは相応しており、かくて言われたような意義を持っている。