神の母
1.聖書
2.マリア・ワルトルタ
3.ヴァッスーラ
4.ベルナルド
5.スウェーデンボルグ
6.聖母から司祭へ
1.聖書
ルカ1・39−56
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。
ルカ1・43
わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。
2.マリア・ワルトルタ
神は今やご自分の母になってくれと要求なさいました
マリア・ワルトルタ17・13/天使館P141
聖母がマリア・ワルトルタに:
わたしはこの二人の罪人の歩んだ道をあべこべに進みました。わたしは従ったのです。あらゆる仕方で、わたしは従いました。神はわたしに、処女であることを要求されました。わたしは従いました。
サタンを知る以前の、女たちの中の最初の女のようにわたしを清らかにした処女性を愛したわたしに、神はご自分の花嫁になるように求められました。わたしは従いました。
わたしは、最初の二人を創造されたとき、神の思惟の中にあった純潔のあの段階にまで結婚を戻し、従いました。この結婚における孤独とわたしの聖なる不妊に対して隣人から受ける侮蔑を覚悟したわたしに、神は今やご自分の母になってくれと要求なさいました。わたしは従いました。
わたしはそれは可能であり、その言葉は神が語っておられるのだ、と信じました。その言葉を耳にしたとき、わたしのうちに平安が波紋のように広がったからです。『わたしはそれに値する者だ』とは思いませんでした。『今、世はわたしに感嘆するだろう。神の肉を創造するわたしは、神に似ているのだから』と、自分に言い聞かせたりはしませんでした。いいえ、わたしは謙遜に、自分を無にしたのです。
マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩/上P38
格言の書(箴言)8・22〜31について
あなたたちは、このことばを上智に応用しているが、美しい母、聖なる母、今、あなたに話している上智である私の処女の母について語っている。
マリア・ヴァルトルタ24・4/天使館1巻P194
ザカリアが入って来て扉を閉める。目を潤ませてマリアを見つめる。話しかけようとする。そして止めてしまう。前に進む。マリアの前に跪く。
「主の哀れなしもべを祝福してください」とマリアに言う。
「そのしもべを祝福してください。主を胎内に宿しているあなたこそそれができるのですから。神の言葉は、わたしが自分の誤りを認め、言われたことをすべて信じたとき、わたしに臨みました。わたしはあなたとあなたの幸運を見ています。わたしはあなたの内におられるヤコブの神を礼拝します。あなたは、永遠なる御者に再帰した祭司が新たに祈ることが出来る最初の神殿です。世のために恩寵を得、世に救い主をもたらすあなたは祝福された方だ。初めにあなたの尊厳を見通せなかったわたしを赦してください。あなたがこの訪問によってわたしたちに運んできてくださったすべての恩寵によって、おお恩寵満ち満てるお方よ。あなたの行くところで、神は不思議を行い、あなたの入る四壁は聖別され、あなたの声を聞き分ける耳、あなたが触れる体は聖別されます。いと高き御者の母、神の民に救い主を与えるために預言され、待望された処女、あなたは恩寵を与えるがゆえに、人びとの心を聖とするのです。」
マリア・ヴァルトルタ29・8/天使館1巻P239
イエズスの母、また人類の母であるわたしの人生でわたしが味わった最初の屈辱でした。
聖母マリア/マリア・ヴァルトルタによるマドンナの生涯/上巻/天使館/P269
イエズスは言われる「・・・私はあなたたちに一人の父親だけでなく一人の母親も与える[・・・]・・・天におられるあなたたちの母は・・・神の娘にして、神の伴侶であり、そして神の母という三役をそなえておられるゆえに、神に対して絶大なる影響力をもっている」(『手記‘43』)[11月8日])。
3.ヴァッスーラ
‘88・2・10
主:ヴァッスーラ 私の声を聞き 書きなさい。
ヴァッスーラ:はい 主よ。
主:私はみことば アルファでありオメガ、私は不死の霊薬、愛の源 すべては私が在らしめた。あなた方を贖うため 肉となり地上に降った。娘よ 十字架からヨハネと母に与えたみことばに対して 私の教会には非常に多くの混乱が見られる、主である私が、御母を天の元后として戴冠させたことを、何にもましてあなた方に思い出させたい
ヴァッスーラ:主よ?
主:何か ヴァッスーラ?
ヴァッスーラ:主はご自分を神として紹介なさいました、それから御母を二度口にされました。いましがたは聖マリアがあなたのお母さまであると宣言なさいました、「神の母」という呼び名を確認し。ご自分でそう仰ったのです! プロテスタントが拒む呼び名ですのに。
主:私は喜びでいっぱいだ 娘よ、教えていたのが無駄ではなかった、私のわざを理解してくれたことを喜んでいる、学び続けるよう努力しなさい、その達成のために祈りなさい、願うなら必要な洞察力を与える、ヴァッスーラ、再び繰り返す、みことばが知られることを望む。神である私は母の胎内で育った、あなた方の神をこの方は育まれた 被造物よ! 私はこの方に養っていただいた。みことばである私はこの方を愛し 尊んでいる。ヴァッスーラ 初めの頃に私の十字架刑を詳しく述べた、「私の視線が母の上に留まった、そのお方を見た時私どもの心が呼応した <我が愛する子どもたちを与えよう あなたの子たちとなるように、この子たちの母となってほしい>」
(*イエスと聖マリアの間に交わされた無言の相互理解と直観的な一致のこと)
ヴァッスーラ:はい 主よ、けれど私たちのプロテスタントの兄弟は 主の十字架上のみことばは文字通り ヨハネに向けられたものだと言っています、お母さまが「未亡人」となり 主がおられなくなってもヨハネが世話するようにと。聖マリアは「神の母」でないとも言っています。
主:しかし 私のヴァッスーラ 聖書に偽りはない、聖書には書かれてある、「私の主の母」と。聖霊に促され エリザベトはこの言葉を口にした、書くように:「すべての女の中であなたは最も祝福された方、そしてご胎内の子も祝されています。私の主の御母に訪ねていただく名誉をいただくとは? 」十字架上で述べた言葉はあなた方の多くが理解するよりはるかに深い(*)。あなた方の聖なる母でもあるこの方を 尊びなさい。もう私の心の中で休むように、私の現存を覚え 喜ばせてほしい、私を尊びなさい 我がヴァッスーラ、
*イエスは「我が神、どうして私を見捨てられたか。」といった、他の言葉のことも意味しておられます。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P219
‘88・5・10
私です、あなたや そして私の聖なるやり方、あなたに教えているこの道を、悪魔がいかに蔑んでいるか時折見るがよい、我が母にたいする愛の涙は 悪魔を猛烈に怒らせる。 私の家を住まいとし 聖なる御母を「神の母」また「天の元后」として認めることのできる者は幸い、さあ 愛する者よ、祝福を受けなさい ♡ 我がヴァッスーラ あなたを祝福する
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P242
‘90・9・25
私はあなた方を愛する母、皆を慈しむテオトコス(*)です
*テオトコス:神の母(訳注)
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち8巻P136
人間よ! 女性から生まれた者よ、太陽をまとった女性を尊びなさい! ひ弱な人間よ! 彼女の抱擁 そして我が独り子をエジプトまで砂漠をこえて運んだ腕の中に 慰めを見いだすように。その慈悲(いつくしみ)をもって私を尊んだ母を 尊びなさい、私は、無論、彼女に 豊かな好意を示したではないか? 太陽をまとう女性にたいして 大いなることをした、そして我が霊に覆われたその日以来、彼女はどの世代にも 祝された者と呼ばれてきた。彼女を尊ぶのをやめた者たちには 恥と不名誉しかない。これほど私が豊かな好意を現した女性への あなた方のあざけりこもった言葉を 私はこころよく受け取ってはいない
そして各々を相応に取り扱う。
霊を高ぶらせないように、今やいっそう霊を遜らせ 聖母の取り次ぎを願うときも嫌な顔は見せないように。私が彼女の願いを聴かないとは誰が言うのか? カナでも あなたの母が執り成して下さったではないか? あなたの霊が(*)今日拒んでいることを 霊では理解するようにと こうしたしるしが行われた。このしるしは 将来のあらゆる時代のために与えられたもの。太陽をまとい、世界を満たす三たび聖なる、我が聖霊をおびた女性は、神の母として位する。来なさい、我が娘よ、最善を尽くすなら あとは私がする。ヤハウェが栄光のうちに 祝福を与えよう。実りが いや増すように(**)。我が−独り子−の−目に−燃える炎よ、覚えておきなさい、あなたは一人ではない、私がともにいる。
(*)神は 聖母を拒んで十分尊ばない人びとにだけ話しかけておられます。
(**)命令のようなおっしゃり方でした。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/8巻P152
96・3・25: ― 受胎告知の祝日
愛する者よ、来て学びなさい:誰が私をいちばん歓喜させたか? 私をいちばん歓喜させたお方が誰か教えよう:それは 新たなエワ。そうです! 太陽をまとい、月の上に立ち、頭には 十二の星を冠とする女性。 天とそこにあるすべて、地とその抱かれているすべて 海とそこにかかえるすべての造り主なる私は これらいっさいの上にこの女性を立てた。 天の元后は 常に至高者の玉座を前にしておられる。
天が地より高いと同じほど その名は偉大、その名は、光の衣装をまとう。 聖なる名:
神の母
を身に着けたお方に 世界はあまねく膝を屈めるように。 その無原罪の胎に、汚れない子羊なる、私を受け入れ、神殿のための神殿となって、我が誉れとなられた。来て 彼女を讃える新しい歌をうたうがよい、地上に住む皆よ、 神―人とも(*)なった私を身ごもった胎、祭壇であられる、汚れなき御心を たたえるがよい。 この太陽をまとう女性ほど 私の誉れとなった者はいない。 そうです! この女性は全き愛のうちに華麗な美をたたえ そこを通られるなら どの島々も、山々も、岡も、谷も泉も 深く頭をたれる。 そして昨日と同様 今日も、まこと麗しい愛が 地上を通られるときは、我が天使たちに付き添われ 天使たちの目は 御父の傑出した美である崇むべきお方、乙女のうちの最も聖なるお方を 絶え間なく誉め讃え、感嘆して眺める、このお方が地上を通られるときは、慈悲深く介入なされ、あなた方の懇願にお応え下さる。
言わせてほしい:我が聖心は あなた方の天国。 楽園であって、あなた方の王国。嗣業の地、永久の安息地。こんなにも愛しているこの心に 近づきなさい そうするなら、我が心より、あなたの心に豊かな祝福を注ぎ出し、その霊魂を 春の晴れわたった日のような無上の祝福に変え、象牙の塔、私だけの天国に変えよう。 この私の愛を誰が疑い得よう? ああ、愛する者よ、私の愛を疑うたびごと、我が悲嘆によって太陽は暗やむ・・・・今日は、大いなる愛をもって、御母(**)のお心を顕示したい、
* イエスは神でもあるので、「も」とおっしゃったのです。
* *「御母」とイエスが発音された時、そのお心が愛で溶けてしまわれるのを感じました。
4.ベルナルド
あかし書房/聖母の歌手/P42
神は、ご自分が進んでお選びになった、マリアの子という身分と名前を、決して嫌がるはずがありません。福音記者もそのことを、少しあとに記述してこう言っています。「イエズスは彼ら[両親]に従っておられました」(ルカ2・51)。
「従っておられた」―だれが、従っておられたのですか。だれが、だれに、従っておられたのですか。ああ、神が、人間に従っておられたのです。神が! そうです、神が従っておられたのです。天使たちがご自分に従っているその神、主天使も権天使もこぞって、ご自分に仕えているその神―この神が、マリアに従っておいでになったのです。それもただ、マリアにばかりではありません。マリアのゆえに、ヨセフにまでも従っておいでになったのです。
人よ、この二つの絶妙な事柄を、心行くまで驚嘆するがよい。神の母マリアの高い位か、それとも人間への神の服従か―この二つのうち、どちらが一層あなたの驚嘆に値するのですか。神の御子の尊敬に満ちた、母マリアへの孝子の態度か。それとも母マリアの類ない権威か。どちらも絶妙な奇跡ではありませんか。
神が一人の女性に従っておいでになります。ああ、なんという異色の謙遜なのでしょう。一人の女性が神に命令を下しています。ああ、なんという高い位、類ない権威なのでしょう。童貞者をたたえる讃美の歌の中に、彼らは子羊が行くところには、どこにでもついて行く(黙示録14・4)という句があります。だとすれば、子羊を先導する母マリアには、どんな讃美をささげねばならないのでしょう。
人よ、服従することを学びなさい。一塊の土に過ぎない人間よ、従うことを学びなさい。吹けば飛ぶ塵に過ぎない人間よ、相手に譲ることを学びなさい。あなたを創造された神について福音記者は、「彼は彼らに従っておられた」と記述しています。あなたを創造された神が、マリアに従っておられたのです。またマリアのゆえに、ヨセフにも従っておられたのです。
人よ、おごり高ぶる灰よ、恥じなさい、赤面しなさい。神はこのようにご自分を低くされるのに、あなたは途方もなく自分を高くしているのです。
5.スウェーデンボルグ
新しい教会の教典P80
八、しかし主の母マリアは後に教会を表象したため、その点で彼女は主の母と呼ばれなくてはならない
真の基督教111(8)
最後に、質問者達はロマカトリック教徒に向って語った。「恐らく貴方がたは神的人間性を語ることが出来るでしょう。何故なら、貴方がたはその聖餐に於てキリストはパンと葡萄酒の中に、その各部の中に、全的に、在し給うことを信じ、また貴方がたは聖体を示し、之を持ち回る時、彼を最も聖い神として礼拝し、またマリヤをデイパラ即ち神の母と呼び、従って貴方がたは彼女は神を、即ち神的人間性を生んだということを認めておられるからであります」 彼らはそこでその言葉を出そうと試みた。然しキリストの人間性はその神性から分離されており、またそれは実際、法皇にはキリストの神的な力は委譲されておらず単にその人間的権能が委譲されているに過ぎない故、法皇の許では分割されているという信念と共に、キリストの血と身体に関わる物質的な考えがその時生まれて来たために、彼らはその言葉を発することが出来なかった。すると修道僧の一人が立ち上がり、私は最も聖い処女マリヤとまた私の修道院の一人の聖人の神的な人間性を考えることが出来ますと語った。他の一人の修道僧が進み出て語った。「私が今抱いている考えによりますと、私は神的人間性という語をキリストに対して発するよりも、神聖法皇に対して発することが出来ます」 然し法皇派の中には彼を引き戻して「恥を知れ」と叫んだ者があった。この後、天界が開け、其処に、謂わば、火の舌のようなものが、会衆の或る者の上に降り、そこに止まるのが見えた。するとその者らは主の神的人間性を讃え始めて、語った。「三人の神の観念を斥けられよ。而して、主の中には神性の完全性は尽く身体をなして宿り、彼と父とは霊魂と身体とが一つであるように一つであり、神は空気或はエーテルのようなものではなくて人間であり給うことを信ぜられよ。然すれば貴方方は天界に結合せられ、主は貴方方にイエスと呼び、且つ神的人間性と語ることを得させ給うでありましょう」
聖母から司祭へ1994.1.1
あなたたちを待っている新しい時代の扉を開くのは、わたしの役目です。
新しい天と、新しい地に向かって、あなたたちを導くのは、わたしの役目です。
神が世界において、その最も大きな勝利を得られるように、サタンと悪のすべての力にうち勝つ役目が神の母であるわたしに、特別にまかせられています。