解決策
アグレダのマリア/神の都市/P18
聖母のおそばで自分の反抗心を抑え、その御助けにより、聖母の御生涯について書くことを約束するよう、神は私を導いて下さいました。それは次の三点にしぼられます。第一は、被造物は神に対し当然の深い尊敬を表し、主が遜られたのに相応して自分自身を蔑むべきこと、そして、より大きい恩恵の効果は、より大きな畏怖、畏敬、注目と謙遜でなければならないことを、いつも想い出すことです。第二は、自分たちの救いを忘れてしまう我々全員の義務を想い出すこと、救世の御業に於ける信心深い聖母にどれくらいお世話になっているかを学び、考えること。聖母が神に対して示された愛と敬意と、我々が偉大な聖母に捧げる名誉についてよく考えることです。第三は、私の霊的指導者と、必要なら世の中全体に私の小ささ、悪さ、恩知らずさを見つけてもらうことです。
この三点に関し、至聖なる童貞は答えられました、「世の中はこの教義を必要とします。人々は全能の主に対する畏敬を知ろうとしないし、怠っているのです。この無知に対する主の正義は人々を懲らしめ、遜らさせることになるでしょう。人々は不注意で暗黒の中にいますから、安心と光明をどのように探すべきかを知りません。人々はなすべき畏敬と畏怖に欠ける以上、当然の運命に会います。」 本書に関する主と聖母の御意向を明瞭にするため、いと高き主と聖母はその他の様々な指示を下さいました。聖母の至聖なる御生涯についての執筆上の指示を拒めば、自分自身に対する愚行となり、愛徳の欠如となります。執筆を延期することも同様に不当です。いと高き御方が時期の熟したことを次のように説明されたからです、「私の娘よ、御独り子を世に遣わした時、少数の奉仕者を除き、世の中は創造以来、最悪の状態であった。人間の本性は不完全なので、暗黒と無数の悲惨のどん底へ、強情な罪に達するまで落ちて行くであろう。それを予防するためには、道・真理・生命である私(ヨハネ14・6)に従い、自分自身の判断を棄て、私との友情を失わないように、私の戒めを注意深く守ることによって、私の光に照らされた内的指導と私の僕である司牧者たちの指導に身を任せる以外には方法が無い。創造と人祖の罪の時からモーゼの律法の時まで、人々は自分の好みに従い、数々の誤謬と罪の中に落ち込んだ(ロマ5・13)。 律法を与えられた後も人々は従わず、罪に罪を重ねた(ヨハネ7・19)。このような生き方を続け、真理と光から益々遠ざかり、完全な忘却の地に到達してしまった。父性愛の故に、私は人々に永遠の救いと人性の治し難い弱さの治療をもたらし、私の業の完成をはかった。私の慈悲のより偉大な発現のための好機として、私は現代を選び、もう一度大いなる恩恵を人々に示そう。今がその時である。人々に私の怒りの正当な原因を教え、人々を裁判にかけ、有罪と判決すべき好機である。今や私は怒りを表し、私の正義と公平を実施しよう。早く実現するため、そして、私の慈悲が明らかになり、私の愛が活発になる現在、人々に解決策を与え、人々がこの恩恵に応じるようにと望む。今や、世の中があまりにも不幸な道に来ている。御言葉が受肉されたにも関わらず、死すべき人々は幸福を気にも留めず、ないがしろにしている。仮の生命が時間の終りに向かって早く進んでいる。悪人たちにとっては永遠の夜が身近に迫り、善人にとっては夜のない昼間が来ようとしている。死すべき人々の大多数は、無知と罪の闇の中に深く深く沈んで行き、義人を迫害し、神の子供たちを嘲り笑っている。私の聖なる神法は、国家の不法政治上、嫌われている。政治は摂理に反対するばかりか、摂理を憎む。悪人には私の慈悲を受ける価値がほとんど無い。この運命的な時、義人たちに私の慈悲に到着するための門を開こう。心の眼を覆う闇を追い払う光を義人たちに与えよう。私の恩寵に再びあずかれるように解決策を与えよう。幸いなるかな、解を見出す者よ。幸いなるかな、その価値を知る者よ。幸いなるかな、この宝を得る者よ。幸いにして賢きかな、解決の素晴らしさと秘められた神秘を探し、納得する者よ。死すべき生命を不死の神に与えることによって生命を回復された聖母が、お取次されることがどれほど偉大であるかを、私は死すべき有限の人々に知らせたい。自分たちの忘恩をまざまざと見るための鏡を見るように、私がこの純粋な被造物に全能の手によって作り出した不思議の数々を人々が見るようにしよう。私の高遠な決断により、御言葉の御母についてまだ知られていない事柄の多くを示したい。