純真

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・4・1

 

人は二つの翼で地上の物をはなれて高く飛ぶ。それは純真(じゅんしん)さと純潔(きよ)さとである。すなわち志しには純真さがなければならないし、心には純潔さがなければならない。純真さで神を狙い、純潔さで神を悟り味わうのである。

 もしあなたの心が乱れた欲情から逃れきったならば、どんなによいことをするにも、なんの妨げもないだろう。

 神のおぼしめしに適うことと、隣人のために尽くすこととのほか、何も求めないならば、あなたは精神(こころ)の自由を味わうことができるだろう。

あなたの心さえ正しければ、被造物はことごとくあなたにとって生活の鏡となり、とうといみ教えの書物となるだろう。

 どんなに小さいつまらないような被造物でも、ひとつとして神のおん仁慈(慈しみ)を現わしていないものはない。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・4・2

 

 もしあなたの心が善良で純潔(きよ)いならば、あなたはいっさいを妨げなく見、正しく悟ることができるだろう。

 純潔い心は天国や地獄を見通す。

 人はみな自分の心の状態に従って、外部(そと)のことを判断するものである。

もしこの世に喜びというものがあるとすれば、心の純潔い人こそそれを味わう。

もしまたどこかに難儀や心配があるとすれば、良心の疾しい者こそそれをもっともよく知っている。

鉄が火の中へ入れられると、銹(さび)を失って真っ赤になるように、人もまったく神に帰依すると、冷淡の心を失って、新しい人と変わるのである。