巡礼
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・23・4
病気にかかったために自分を改める者が少ないことは、巡礼して聖人になる者が少ないのと同様である。
マリア・ヴァルトルタ/天使館/第5巻上/P49
成聖の手ほどきをするために巡礼の必要はありません。一つの独房か一つの荒野、山地の険しい頂きか人里離れた家屋が、同様に使えます。教える者のうちに権限と成聖があり、教えを受ける者のうちに自らを聖化する意志があれば足ります。わたしはこれを教え、他のことは教えません。
聖母から司祭へ1984.11.14 ザガブリア(ユーゴスラビア)
これほど悩みの多いこの時代にあって、わたしは、みなさんのひとりびとりのそばにいます。あなたがたの生活の困難なこの時にわたしもあずかるように。
わたしは、いつもそばにいます。あなたがたが祈りまた働くときにも、歩みまた休むときにも、喜びまた苦しむときにも、わたしが母として、そこにいることの確かな証拠を与えましょう。多くの苦しみのなかで喜びと慰めを与えるために、わたしは新しい方法で、またもっと不思議な方法をもって出現するために、わたし自身がこの国を選びました。心の清い人は、わたしを見、貧しい人、小さな人、単純な人は、わたしの言うことを聞き、けんそんな人や病人、そして罪人は、わたしをみつけ出します。
困難や障害物があって、わたしの出現の場所に来られないのを悲しんではなりません。
祈るときには、あなたがたは、つぐないをし、わたしの母としての呼びかけに耳をすましなさい。わたしの呼びかけとは、改心の愛の道を歩むことであって、こうして、あなたがたは、あなたがたの間に現れる天の母を霊的に迎えることができます。