受肉した神
1.マリア・ワルトルタ
2.マザー・テレサ
3.グリニョン・ド・モンフォール
4.サンダー・シング
1.マリア・ワルトルタ
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P218
受肉した神なのだから超完全であり、罪の汚れがなく聖であるから十全であり、損傷、あるいは恥辱となるいかなる障害もなく、その体に残る五箇所の傷跡は栄光の宝石でこそあれ、不名誉なマークではなく、神として『光』であり、至聖なる人間としては『栄光に満ち満ちる者』であるがゆえに光り輝く人―神イエズスは、タボル山上でそうであったように、肉、衣服、髪は白く見え、とこしえの祭司メルキゼデク(詩篇110・4)であるから長裾のスータンを着ている。すなわち、そのように父によって直接に、神的に叙階された永遠の教皇であるから金の帯を締め、人としてそうであったように万人の前に姿を現わし、各自は、その方が愛に対する従順により、万人に生命を与えるために死を味わったがゆえに、栄光極まり無き者であることがわかるだろうし、至福な者たちは彼を見て歓喜するだろう。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P221
神で在り続けながら、死すべき肉をとり、人となった御言葉のうちの完全極まりない、唯一の一致。
マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/6巻上/381.2/P230
聖なる方、神の受肉の顔である。
2.マザー・テレサ
マザー・テレサ/ドン・ボスコ社/わたしはあなたを忘れない/P60
神のたいへんな謙遜さを見てください。全能の神が幼子として来られたのです。
3.グリニョン・ド・モンフォール
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/P191
164
考えてもごらんなさい。すべての人のために、また一人びとりのために、神のみまえに恵みを得たマリアが、ある人にとって、神との一致の大きな恵みを見いだすためのじゃま者となっているということは、とうていあり得ないことです。神の恵みに満ちあふれているマリアが、そのご胎に神が受肉されたほど密接に神と一致し、それほど神に変容し尽くされたマリアが、ある人にとって神との完全な一致へ妨げとなっているとは、とうてい考えられないことです。
4.サンダー・シング
7.わたしは世に生まれ落ちた瞬間から、人類救済のための過酷な十字架を背負った。十字架上での六時間だけでも、伝道の三年半だけでもなく、三十三年半にわたる全生涯を通じ、人類が死の苦しみから救われるために十字架を負ったのだ。清潔な人間が不潔な場所にただ二、三分いるだけでも苦痛を覚えるように、わが内に留まる者もまた邪悪な者たちの間に住むことをもっとも忌み嫌う。罪汚れに心悩ませた祈りの人々の中に、世を放棄して砂漠や洞窟に退き、隠者となって生きる者たちがいるのもこのためである。
そこで、よく考えよ。もともと罪人であった人間でさえ、仲間に我慢できなくなるほど罪の存在に耐え難くなり、彼らの元を去って二度と帰ってきたくないと思うほどであるなら、わたしの十字架はどれほど辛く苦しいものであったことか。聖なるものの源泉たるわたしが、三十三年以上もの間、罪にまみれた者たちと絶えず生活を共にしなければならなかったのだ。このことを理解し正しく認識することは、人間の精神の力を超えている。それは天使たちすら、知りたがっていることなのである。創造以前より、彼らは神が愛であることを知っていた。その神の愛は、被造物を救い、彼らを永生に入れるために神自らが受肉し、苛酷な十字架を負わなければならないほど大きなものであった。このことは、彼らにとってさえもっとも驚嘆すべきことだったのだ。
サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P362
「聖パウロになさったように、なぜキリストは今の時代にご出現ならないのか」
「主は今の時代にも、必要な人にはご出現になります。人間の必要はどこでも同じですが、一人一人の状態はかなり異なります。そこで、人間一人一人の心をご存じの神は、各々の状態と必要に応じて、真理の探求者に自らをお示しになるのです」
神は、知恵と力と栄光を、天地にわたる大業の中にうたい上げている。だが、ある意味で自然界の言葉というべき人間は、沈黙したままだ。神の知恵と力は被造物を通して現わされているが、神ご自身を現わすにあたっては、人となることによってのみそれは可能だった。そして、今の時代にも、神は、神の現存の中に住みご自身も住まわれる人々を通して、失われた人類に自らを現わ現われされているのである。