情欲

 

 

 

1.ヨゼファ・メネンデス

 

 

 

 

1.ヨゼファ・メネンデス

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P379

 

 “獄の中では寒さ、飢え渇きを忍び、眠けに襲われ、痛み、苦しみ、ただ一人置き去りにされた。

 その時わたしは幾世紀もの間、わたしの隠れ家として不足だらけの聖櫃や、冷たく凍った心に苦しむことを思った。その心の多くは傷つき凍えているわたしのからだにとって、獄の堅い冷たい石のようである。

 何度かわたしは霊魂の愛に飢えることであろう。わたしを訪れ、わたしを受ける者を、何日待たねばならないことであろうか。愛の渇きをいやす者の来るのを待ちこがれながら、幾夜を明かさねばならないであろうか。けれど仕事におわれたり、無関心になったり、健康を気にして来なくなる。また人々の忠節、寛大な心に飢えているのに、この聖なる飢えをどれだけ充たしてくれるであろうか。小さい克己や僅かの制欲で、満足させてくれられるのに。わたしの苦しみにやさしく同情してはくれないのだ。自然的にみてむずかしく思うときに「御身のお悲しみをやわらげ、孤独をお慰めするためにもこれを捧げましょう。」といってはくれないものだろうか。この時のわたしに心を合せれば、心穏やかに、その困難に打ち勝つことができ、どんなにこのこの聖心(こころ)を喜ばせることができるかわからない。

 獄では聞くも辛いみだらなことを、まわりから聞かせれたが、いつかわたしの愛する者の唇からそのような言葉を聞くことを思って、この聖心(こころ)は更にかき乱された。

 兵士の手がわたしの肉体を鞭打った時、罪にけがれた心が悔いることなく、わたしを聖体のうちに受けて打ち叩き、習慣的となった罪によってわたしを殴り続けることを思った。

 強いて立ち上がろうとしても鎖につながれ、力なく獄吏は倒れるがままにわたしをほっていた時、わたしの前には、忘恩の鎖をもってわたしを引きずりまわし、新たな辱めを与え、わたしを置き去りにして行く人々の姿が浮んだ。

 ああ、選ばれた者たち、獄の中なる天配を眺めこの苦しい夜を明かす天配を思え・・・、そうして省みられない幾つかの聖櫃、冷ややかな霊魂の中でさらに繰り返されるその苦痛を省みて欲しい。

 同情のしるしを与えたいとは思わないのであろうか。おまえたちの心を開いて、それをわたしの獄とさせてはくれないか。

 おまえたちの愛の鎖でわたしをつなぎ・・・細やかな心づかいでわたしを暖め・・・物惜しみしない心でわたしの飢えをいやし・・・救霊の熱い望みでわたしの渇きをうるおし・・・忠実な伴侶(とも)となって悲嘆にくれて置き去りにされたわたしを慰めておくれ・・・この聖心をかき乱す不浄を、潔白と清い意向で拭い去っておくれ。

 もしわたしを憩わせてくれるつもりなら情欲をしずめて、沈黙してくれればわたしは安らかに眠ろう。またやさしくささやく愛の声を聞くことができる。「選んだ浄配よ、わたしのために犠牲をささげたことは何一つ悔いることはあるまし。愛深い心遣いで、おまえの心の獄にわたしを守ってくれたお礼として、わたしが限りない報いとなろう。・・・おまえはわたしを休ませてくれた。わたしは永遠におまえを憩わせてあげよう。“

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P382

 

 聖寵に支えられ、お招きに応じて修道生活に入り、孤独に閉じこもって愛の絆に結ばれ、正当な自然愛もすてて、本能的な情欲を勇気をもって抑え、人から嘲笑されることをも忍び、愚なる者と思われても、その心を神なる救い主に堅く結ぶ人々を見た故に、わたしは恐ろしい乱暴な取り扱いを受けても、み旨を果そうという熱い望みにかられ、一人で苦痛を忍びながら侮辱された神の光栄を償うために身を捧げたのである。

 修道女たちよ、愛によって自ら選んだ獄に住み、世の人々から無益な、また時には、あやしげな者とさえ思われても何も恐れるには及ばない。その孤独に悩まされる時、世間の人々の、ののしるに任せておくがよい。心を、唯一の愛である神に更に強く結び、罪によって侮辱されるその光栄を償うがよい。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P382

 

“ピラトは即ち聖寵のすすめを受けながらも、情欲の波に溺れる人々の例である。自ら眼を覆い、人を憚って笑われるのを恐れ、過度の自愛心にひかれ、別に悪いこともなかろう、危険はない、こんなことは自分で決定できる、忠告を聞く必要はないと決め込んでしまう。克己の力がなく、お恵みに協力しないで、一つの罪から他の罪へと陥り、ついにピラトのごとくわたしをヘロデに渡してしまう。修道者の場合には、大きな罪でわたしに背くということではなく、誘いをさけるためには辱めを忍ばねばならないとか、反対をうけるという場合に、心のささやきに従い、誘いを正直に認めるどころか、この危険をさける必要などない、この満足を拒む何の理由もないと自らに言い聞かせ、まもなく更にあぶない危険へと陥る。ピラトのごとく目を覆って正しく行う勇気を失い、すぐにではないが、徐々にわたしをヘロデに手渡すのである。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P384

 

“大切なことは人からよく思われることではなく、たとえそれがために苦しみ、辱めに会ったとしてもたじろがず、自然的傾向に反しても恩寵のすすめに従うべきである。もし独りでこれを行うことができないならば助けを求め、あるいは勧告を聞くがよい。いく度自己愛と情欲が己をめくらにして、いつ悪の道に誘うかわからないのだから。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P385

 

ピラトは世間の要求や欲情をきっぱりと拒絶する勇気のない人々の代表である。

 その人々は良心の声に従って、悪の根を断ち切るどころか、それを増長させ、一寸とした気ままからここで譲り、あすこで敗ける・・・小さな満足を求め、欲の幾分かを充たし、恩寵のすすめを全く拒んだのではないからと、心を安んじているのである。