情念

 

どのようにイエスを愛し、いかに主のみ旨を行うか

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P67

1900年12月23日

 

 幸いなるイエスと私の間に長い沈黙の日々が続いたため、私は内面に空虚感を感じていましたが、今朝イエスはおいでになると言われました。

 

「愛する子よ、あなたは私と話すことに非常に焦がれているが、何を言いたいのか?」

 

 私は恥ずかしさを覚えながら申し上げました。「我がイエスよ、私はあなたとあなたの聖なるみ旨を、燃えるように熱望しております。もしそれを与えてくださるなら、私を本当に満足させ、幸福にしてくださるでしょう。」すると主は言われました。

 

「あなたはほんの少しの言葉をもって、天と地においてもっとも偉大なことを願った。私の聖なる意志をもってあなたの願いに応ずることを、私はいっそう望んでいる。私の意志をより甘美なもの、より味わい深いものとすることができるように、あなた自身を私の意志の輪の中に置き、今は私の望みの聖性のうち、次には善、次は謙遜、次は美しさ、次は私の意志によって産み出された平和な滞在、というふうに異なった価値の中に留まって、それを鑑賞するようにしてみなさい。もしそうするならば、あなたはこのような逗留の中で私の聖なる意志の、新しく素晴らしい知識をますます豊富に得ることができ、それにまったく魅せられ、密着して、もうそこから出ることがなくなり、この事実はあなたに最高の益をもたらすに違いない。

 しかもあなたは私の意志の中に留まっているので、自分の人間的傾きにたいして戦う必要がなくなり、それにたいして常に戦闘状態に留まることもなくなる。人間的欲望とは、それが死んだと思えるときでさえ、もっと強く、活力をもって再生することがあるものだ。とにかくあなたの情念は 戦うことも騒ぐこともなしに、穏やかに死ぬだろう。それは私の意志の聖性を前にしたとき、あえてまかり出る勇気をなくし、その命を失うからである。もし霊魂が自分の熱情の働きを感じるとしたら、それは私の意志の境界線のうちに絶え間なく住まいを定めていないからだ。私の意志から出て、自己の望みをもってちょっとした逃走をくわだてたりするので、腐敗した人間性の悪臭をかぐことを余儀なくされることになる。ところが、もしあなたが私の意志の中に定着しているならば、あなたはすべてのことから自由となり、唯一の心配は私を愛し、私から愛されることだけとなるだろう。」