女教師

 

 

1.マリア・ワルトルタ

2.アグレダのマリア

 

 

 

 

1.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P213

 

後にもおられるかた(黙示録1・8)

 

 そして、無限の憐れみは、血と、火と、迫害と、死の嵐に押し倒されている哀れな人びとを憐れみ、血と恐怖の海の上に、その再臨の先駆者となるであろう清らかな海の星マリアを輝かせるであろうし、この新しい福音宣教者たちは、実は、四福音史家使徒たち弟子たち皆からあまりにも日影に放置されていたが、彼女にかかわるより広汎な認知は多くを教化し、多くの転落を防止したマリアを福音宣教するだろう。なぜなら彼女共贖者であり、女教師なのだから。家にいても、当時の人びとと共にいる時も、純潔で、謙遜で、忠実で、慎重で、思いやりに富み、敬虔な人生の女教師である。幾世紀にもわたって、常に、世界が泥と闇に降りて行けば行くほど知られるに値し、闇と泥でないものに向けて世界を再び導く、もっとも模範とするにふさわしい女教師である。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音4巻下P185

 

わたしの母とあなたは、に心を開く二つの霊魂の教師です。わたしの母の知識の天使的教師、人智のエキスパートであり教師であるあなたはしかしながら、今は超自然的言及に触れ、説明することが出来ます。素晴らしいでしょう。そして立派です。」

「はい、神聖なわたしの主よ! 哀れなヨハネには素晴らし過ぎます!・・・」そしてこの男はイエズスの家での、マリアの傍での、間近に迫った平和な日々を思い描いて微笑む・・・

 

 

 

聖母マリア/マリア・ヴァルトルタによるマドンナの生涯/上巻/天使館/P248

 

 信仰、希望、愛徳はマリアからもたらされます。彼女は神に至る門なのです。慎ましさ、公明正大さ、力強さ、思慮分別が彼女からもたらされます。恩寵と数々の恵みが彼女からもたらされます。世の救いは、彼女を通して出現するのです。

 おお、わが母よ! 大祭司から最後の平信徒にいたるまでのすべての信者にとって、あなたは聖なる聖体容器(チボリューム)です。その中で聖体は信じるもの誰にでも与えられるために待機しているのです。一切の神の恵みがあなたの汚れなき身体と無原罪の御心を通して流れ出ます。あなたに神秘と真実、秘跡と賜物を求めるものだけが、真の知恵によって神の恵みを理解し、真の意味でそれを味わい、実を結ぶことが出来るのです。あなたは霊魂と太陽、神と霊魂の間にあるスクリーンです。人類はあなたを通して神性を観想し、あなたを通して人間性が完全なる神に捧げられるのです。かつて神を人類に与えた母は、いまや、その微笑みと愛をもって人類に教えることによって、今度は人類を神に与えるのです。

 わが小さなヨハネよ、いつでも御母マリアを通して私のところに来なさい。これは聖人たちが用いる秘訣です。そして彼女は閉ざされた扉です。いまだに人間の暴力では打ち破られたことがなく、これからも決して無理に開けることはできません。彼女は神の子供たちが愛をこめてノックするときにだけ、扉を開けるのです。御母に向けられた魂が謙遜で純粋であればあるほど、御母はよりすばやく扉を開け、あなたを歓迎します。彼女はあなたを母親として優しく腕のなかに抱きかかえて歓迎し、知恵と愛について教えるのです(『手記‘44』8月2日)。

 

 

 

 

2.アグレダのマリア

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P65

 

「先生の崇高性が生徒たちに拍車をかけ、教義を受入れ易くするとしたら、汝の配偶者の御母に勝る先生は他にいない。この崇高な女主人の言うことを聞きなさい。マリアをよく模倣しなさい。マリアの崇むべき諸徳を絶え間なく黙想しなさい。マリアの隠遁生活の言動は、マリアの後で修道院入りした者たち全員の模範である。」

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P177

 

今日から私を先生にしなさい。何事もする前に、母であり先生である私に相談し、許可を願いなさい。私の返事を聞いたらすぐに主に感謝しなさい。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P322

 

聖母は聖ヨハネを祝福し、聖ヨハネを生涯守ることを約束し、天にお昇りになりました。聖母が神の知識と神の知的幻視により高められるにつれ、教会に対する世話と気配りも多くなりました。日々、信仰は地上に広がりました。真の御母なる先生として、使徒たちのことを心から気遣いました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P329

 

聖母が教会の中で保っておられる全ての義務と称号、すなわち、元后、女主人、御母、女監督、先生(教会博士)は、全能者より与えられたもので、意味もない名前ではなく、恩寵の山を意味し、全能者がその一つ一つの恩寵を名指しされるのです。この豊富さは次のようになります。元后としての聖母は、統治権とその領域を全て御存知です。女主人として権力の大きさを知っておられます。御母として、教会の終わりまでの全時代における教会員全員、一人の例外もなくよく覚えておられます。女監督として、聖母に従う者全員をお知りになっています。先生として、聖母の御取次ぎにより、聖霊の御導きにより、聖なる教会を教え、案内すべき智恵と知識を備えておられます。