助言

 

 

1.聖書

2.役に立たないことば

3.自己抑制は意志の問題であり、他に良い忠告を与えることは単に皮相的な思考の事柄に過ぎない

 

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マタイ18・15

 

兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。

 

 

 

 

 

2.役に立たないことば

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P328

 

役に立たないことばとは、自分では何も助けられないのに、他人の欠点を話す場合です。その場合それぞれ本当であっても、愛に背くことです。同じように強く他人を叱責しながら、助言をしてやらないのも愛に背くことです。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P331

 

どんな場合でも人を断罪するより先に、自分も人間であることを思わねばなりません。あなたの師である私も、罪を痛悔している人を一人も断罪しませんでした。このことを思い出しなさい。子供たちの罪を七度の七十倍、また七十倍の七十倍でもゆるしなさい。なぜなら再び病気になったからと言って、病人に救いの門を閉めるのは、彼を死なせると同様です。分かりましたか?

 

 

 

 

3.自己抑制は意志の問題であり、他に良い忠告を与えることは単に皮相的な思考の事柄に過ぎない

 

 

真の基督教535

 

実際の悔改めすなわち、自己点検、己が罪の認識と承認、主への祈願、新生を開始することは、多くの理由から改革派の基督教世界においては極めて困難である(504番)。何らかの悪を考えながらも、「私はこれをやりたい気持ちであるが、然しそれは罪である故に、やらない」と語らせるところの、容易な種類の悔改めがある。この方法によって地獄からの誘惑は抵抗を受け、その再度の試みは妨げられる。悪を図っている者を責め、これに「それを為すな、それは罪だから」と語ることは極めて容易である。しかも、それと同じ事を自らに語ることは如何に困難であろう。これは、自己抑制は意志の問題であり、他に良い忠告を与えることは単に皮相的な思考の事柄に過ぎないためである。霊界に何人がそのように自らを制御し得るかと尋ねられ、そのことの出来る人は砂漠の鳩のように稀であった。或る者はそれが出来ると語ったが、自分達を点検し、自分の罪を神の前に告白することは不可能であることを認めた。確かに、宗教的な動機から善を為す凡ての者達は、実際的な諸悪を避けるが、しかも彼らは、自らは善を為しているために悪からは自由であり、且つその悪を隠すと想像し、意志の隠れた諸々の源泉について、反省することが極めて稀である。然し、親愛なる読者よ、仁慈に於ける本質的な事柄は、聖言、十誡、洗礼、聖餐、理性それ自身によって教えられている如く、諸々の悪を避けることである。何故なら、自らを点検しない限り、どうして、悪を避けて、これを放逐することが出来ようか。而して、善は、それが内的に浄められない限り、如何にして真に善となり得ようか。私は敬虔な人と、健全な理性を持つ人は凡てこれを読む時は、賛成し、これが真理であることを認めることを知っているが、それに従って行動する者は僅かしかいないことをも知っているのである。