邪推・猜疑心
結婚愛374
ある者にあっては嫉妬は一種の心の病から発していることは世に隠れたことではない、なぜなら自分の妻を不信実であるといつも考えていて、単に妻が男と、または男について親しく話しているのを聞いたり、または見たりするのみで、妻は娼婦であると信じてしまう嫉妬深い人間がいるからである。こうした病を招く色々な害われた心の状態があるが、猜疑心がその中でも第一のものであって、それを長く抱くと、心はそれに類似した霊の社会に入って、そこから連れ出されるのは容易ではない。それは身体の中にすら宿っており、そのため血漿は、引いては血液は粘性になり、靭性になり、濃厚に、鈍重に、渋くなる。また強さが欠けるとそれは増大する、なぜならそのため心はその猜疑から挙げられることが出来なくなるからである。なぜなら強さが在ると、挙げられるが、それが欠けると抑えつけられるからである、それは強さが欠けると心は意気阻喪し、衰え、弛緩し、それで益々猜疑心に陥って、遂には狂うようにもなり、相手を叱責し、出来るだけこれに罵言を浴びせかける愉しさともなるからである。