天界の秘義3096

純粋な高い真理

 

井戸・・・それ程純粋でもなく、また高くもない真理

 

天界の秘義3765

聖言は合理的なものがとり扱われている時は「泉」と呼ばれ、自然的なものがとり扱われているときは「井戸」と呼ばれる。

 

 

天界の秘義6418

泉の意義は聖言である。

2702、3424、4861

 

 

天界の秘義6774

 

井戸の意義は聖言である。

2702、3424

 

井戸・・・聖言の文字の意義

泉・・・・聖言の内意

3765

 

 

 

黙示録講解730ハ

「谷間の真中の泉」は自然的な真理から発した理知を意味。

 

 

同730ハ

「荒野を水のプールとなし、乾いた地を水の泉とする」(イザヤ書41・18)

前には何ら真理がなかった所の霊的な人と自然的な人とを真理をもって満たすことを意味。

 

 

 

天界の秘義984

 

 『地に再び満ちる』ことは外なる人の中に、を意味していることは『地』の意義が外なる人であることから明白であって、その意義についてはすでにいくども示しておいた。再生した人間の仁慈の諸善と信仰の諸真理とについてはそれらは良心の中に植えつけられるのであり、そしてそれらは信仰により、または聖言を聞くことにより植えつけられるため、それらは外なる人に属した記憶の中に最初存在していると言ってよいであろう。その人間が再生して、内なる人が活動する時、それと同じことが実を結ぶこととふえますことについても起り、すなわち、仁慈の諸善は外なる人の諸情愛の中にそれ自身を現わし、信仰の諸真理はその外なる人の記憶の中にそれ自身を現わし、その何れの場合も増大し、ふえますのである。このふえますことの性質は再生した人物の各々に知られることができよう、なぜなら確認させる事柄が絶えず聖言から、合理的な人から、知識から生まれて、そのことによりかれは益々確認することができるのであって、これは仁慈の結果であり、主のみが仁慈を通してその業を行われるからである。

 

 

 

仁慈の教義183

 

内なるものはことごとくそのしるしとなるものを、それを示すものをもっている。もし仁慈が内なる人の中に、または霊の中に在り、それが外なる人と肉とに反抗して戦わないなら、そのときは仁慈は消滅してしまうのである。

 

それは純粋な水の泉のようなものであり、もし出口がないなら、それはよどんでしまい、かくてそれは流れなくなるか、またはよどんでその水は腐敗してしまうか、その何れかである。他の所にこれらの事柄を聖言から多く確認しよう。

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P355

 

先月、わたしはパレスチナでヨルダン河の岸辺に立っていたときに、こう思いました。「この瑞々しい河の水は絶えず死海に注いでいるが、死海は死んだままだ。それは、この海が流れを作らないからである」。

 

同じように、死んだ状態の教会やキリスト教徒がいます。イエス・キリストから流れを作らないからです。「自分は小さく、他の人に与えるほどの余裕はない」と考えてはなりません。ヨルダン河はたえず流れ、止まることはありません。

 

パレスチナにいたときにわたしが学んだのは、このことです。あなた方は死海のようであってはなりません。すすんで流れを作らなくてはなりません。学問、教育、キリストへの愛、お金を、人助けのために使わなくてはなりません。あなた方は、キリストからいっそうの恵みを受け、祝福されることでしょう。