卑しめ
1.ルイザ・ピッカレータ
2.シルワン
1.ルイザ・ピッカレータ
ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P38
卑しめのわざは、それを受け入れる必要があるのみでなく、それを食物のように噛みしめ、愛することが必要である。その食べ物が苦いとき、噛めば噛むほどその苦さを感じる。こうしてよく噛みしめられた卑しめは、へりくだりのわざを生む。卑しめとへり下りというこの二つの非常に権力ある方法は、人が障害を乗り越え、願う恩恵を獲得するために役に立つのである。それらは苦い食べ物が善よりも悪をもたらすかと見えるとともに、人間の自然性にとっては害であるように思えるかもしれないが、しかし事実はそうではない。鉄床の上で鉄が打たれれば打たれるほどもっと火花を輝かせ浄められるように、もし霊魂が本当に善の道を歩みたいと思うなら、苦業の床の上で卑しめられ、打たれれば打たれるほど、天の炎の火花で磨かれ浄められるのである。その反対に、もしも霊魂が偽のものであるとき、それとは反対のことが起る。
ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P46
私の人間性は、余りの侮辱と卑しめでいっぱいだったために、外にまでそれが溢れ出るほどだった。それゆえに、私の徳の前では天も地も震えるほどだが、私を愛する霊魂たちは、私の徳の幾滴かのしずくを少しでも得るために、上に登る階段として、私の人性を用いる。私の謙遜に比べたら、あなたのそれはどこにあるのか? 私だけが、真の謙遜を持つ者として自分を誇ることができる。
私の人性と一致した神性は、どのような場合でも、言葉とわざをもて奇跡を行うことができた。しかし私は、故意に私の人間性のわくの中に自分を制限し、自分自身罪人たちの間にまぎれ込むほど貧しい者となった。贖罪のわざにしても、わたしは非常に短い時間のうちに、たった一言の言葉によってもそれを実現することができた。しかしその代わりに、何年もの時を経て多くの困窮と苦しみを経験し、人間の悲惨を私のものとしたいと望んだのだ。人間が完全に新しくされ、小さな働きにおいても神性化されることができるように、様々に異なった働きをすることを欲した。これらは神であり人である私が果した事柄の中で、新しい輝きを受け、神のわざとしての痕跡を保っていた。
また私の人間性のうちに隠されていた神性は、著しく低級な事とも接触するまでにへり下り、人間的な活動の道程に従ったのであった。ところが私は、私のたった一つの意志をもって、数限りない世界を創造することもできた。私は、あたかもそれが私に属しているものであるかのように、人間の悲惨と弱さを感じた。私は、神の正義の前に、私の人間性が人々のあらゆる罪に覆われているのを見た。私は、前代未聞の苦しみと、私の血の値のすべてを与えることによって、刑罰を忍ばなければならないことを知っていた。このようにして、私は深く英雄的な謙遜の、たゆまぬ行為を果したのであった。
ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P48
もしも謙遜の芳香がふりかけられていないなら、どのような祈りも私の耳に届かず、私の心を同情へと動かすこともできない。もしも被造物が、軽蔑されること、卑しめられ、当惑させられることを愛することによって、名誉心と尊敬を望む気持ちの芽を破壊しないならば、彼は自分の心の回りに棘が編み込まれているのを感じ、常に心の中にも空洞と不快を感じて、彼を、私の聖なる人間性とは非常に似つかないものとするであろう。もし霊魂が卑しめを愛するまでに達しないならば、自分自身について知ることもなく、美しく快い謙遜の衣服をまとった者として、私の前に輝くこともないだろう。
2.シルワン
シルワンの手記/P76
私たちは、キリストの掟に従って兄弟を愛する努力をしないで、共同生活において、たびたび神の恵みを失う。あなたは兄弟に侮辱されたとき、彼を裁いたり、憎んだり、彼に対する悪い考えを抱いたりすれば、あなたの魂には恵みははいりにくい。したがって、魂の平安を保ちながら、あなたに対して悪口を言う人を愛したり、彼のために祈ったりするように訓練しなさい。主は「敵を愛しなさい」とおっしゃったので、すべての人を愛するように。全力を尽くして、神に祈りなさい。彼らを愛さないならば、神の恵みを味わえないのである。
シルワンの手記/P80
私たちは毎日常に闘っている。謙遜になるための闘いだ。悪魔は高慢のために堕落した。そして私たちを誘惑する。しかし、兄弟たちよ、この地上ですでに神の栄光を仰ぎ見ることができるように、はずかしめを求めよう。主は聖霊によって、謙虚な人にご自分を現わすからだ。