異質なもの

 

 

自然

 

 

 

 

1.霊的な度が全く閉じられている自然的な人の性格、異質なもの、収縮する

 

 

 

 

 

1.霊的な度が全く閉じられている自然的な人の性格、異質なもの、収縮する

 

 

神の愛と知恵254[4]

 

「霊的な度が全く閉じられている自然的な人の性格」。生命[生活]の方面で悪にいる者には霊的な度は閉じられており、悪から誤謬にいる者にはそれは更に閉じられている。神経の小繊維の場合も同じであって、それは質の異なった何ものかが些かでも触れると収縮してしまい、同じく筋肉の凡ゆる運動繊維も、実に、筋肉それ自身も、全身体さえも、何か固い冷たいものに触れると収縮してしまう。そのように人間の中の霊的な度の原質または形もまた、悪と悪の誤謬のために収縮してしまうのである、なぜならこれらは異質のものであるから。それは霊的な度は天界の形をとっていて、善と善から発する真理以外には何物も許容せず、その善と真理はそれと同質のものであるが、しかし悪と悪から発する誤謬はそれとは異質のものであるためである。自己への愛から発する支配への愛は主に対する愛に反しているため、世でこの愛にいる者にあっては特にその度は収縮し、収縮により閉じられている。それは世への愛から他人の財産を求めて狂っている者の中にもまた閉じられているが、しかし前の者におけるほど閉じられていない。これらの愛は悪の起原であるため、霊的な度を閉じるのである。この度の収縮または閉鎖は螺旋形の物が反対の方向に巻き返るのに似ており、その理由から、その度は、それが閉じられた後は、天界の光を斥け、従ってそこには天界の光に代わって深い暗闇が生まれ、天界の光の中に在る真理は嫌忌すべきものとなる。こうした人物の中には、霊的な度は閉じられるのみでなく、合理的な領域と呼ばれる自然的な度の高い領域もまた閉じられ、遂には感覚的な領域と呼ばれる自然的な度の最低の領域のみが開かれる、これは世と身体の外的な感覚とに最も接近しており、そこからそうした人間はその後考え、語り、推理する。悪とその誤謬とを通して感覚的なものとなった自然的な人間は、天界の光の中に在る霊界では人間として現れず、実に鼻を引っ込めた怪物として現れ(鼻は真理の認識に相応するため、その鼻は引っ込められている)、更に彼は天界の光の一光線にも堪えることは出来ない。こうした者はその洞窟の中で燃えている石炭または焼けた木炭から発する光以外の光を持たない。この凡てから霊的な度の閉じられている者は如何ようなものであり、如何ような性格を持っているかが明白である。