医者

 

 

マタイ9・12

 

ファリサイ派の人人はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』というのはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

 

諸悪から守ること

 

天界の秘義6502

 

「ヨセフはその僕の医者たちに命じた」。これは連結を妨害したいくたの悪から守ることを意味していることは以下から明白である、すなわち、『命じること』の意義は流れ入ることであり(5732番を参照)、ヨセフの表象は内なるものであり―それについては前を参照されたい(6499番)―『医者たち』の意義はいくたの悪から守ることである。それが連結を妨害したいくたの悪から(守ること)を意味していることは(そのことについてはすぐ前の6501番を参照)、前後の関連から明らかである。ここから『ヨセフがその僕の医者たちに命じた』により、連結を妨害したいくたの悪から守ることについて内なるものから発した流入が意味されていることが明白である。

 

『医者』は諸悪から守ることを意味していることは霊界では病気は悪と誤謬であり、霊的な病気はそれ以外のものではないためである、なぜなら悪と誤謬とは内なる人から健康をとり去り、心に病を、ついには苦痛を生じさせるからであり、聖言では『病気』によってはそれ以外のことはまた何ら意味されてはいないのである。

 

 

[]聖言では『医者』、『医術』、『薬』は悪と誤謬から守ることを意味していることはそのことが記されている記事から明白であり、例えばモーセの書には―

 

もしあなたがあなたの神の声を聞いて聞き、かれの目に良いことを為し、その誡命に耳をかたむけ、その教令をすべて守るなら、わたしはエジプト人にわたしが与えた病を一つとしてあなたに与えはしない、わたしはあなたの医者、エホバであるからである(出15・26)

 

『医者であるエホバ』は悪から守る者を意味している、なぜなら悪は『エジプト人に与えられた病』により意味されているからである。『エジプト人に与えられた病』が信仰の秘義について記憶知と妄想から論じることから発生してくる悪と誤謬とを意味していることは、この病をとり扱うとき主の神的慈悲の下に示すことにしよう。霊的な事柄が意味されていることは、『もしかれらが神の声を聞き、善を為し、誡命に耳をかたむけ、教会を守るなら、この病はかれらに与えられはしない』と言われている事実から明白である。

 

 

[]同じ意義でまた主は御自身をルカ伝で『医者』と呼ばれている―

 

すこやかな者は医者を必要としない、病んでいる者がそれを必要とする。わたしが来たのは義しい者をまねくためではなく、罪人をまねいて悔改めさせるためである(5・31,32)。

 

ここでもまた『医者』は悪から守る者を意味している、なぜなら『すこやかな者』により義しい者が意味され、『病んだ者』により罪人が意味されるからである。エレミヤ記には―

 

ギレアデに香油[]はないのか。そこには医者はいないのか。それならなぜわたしの娘の健やかさが現れなかったのか(8・22)

 

『医者』は教会内の誤謬から守ることを意味している、なぜなら『わたしの民の娘の健やかさ』はそこの教義でも真理を意味しているからである。