異教徒となった全人類

 

 

1.聖母から司祭へ

2.マリア・ワルトルタ

3.スウェーデンボルグ

 

 

 

1.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1991.6.8

 

 キリストの霊から遠ざかり、世間の霊にだまされるままになった教会に、福音を宣言しなさい。

 世間の霊は、深く教会にはいりこんで、教会全体にしみこんでいるのですから。

 福音が最初の告げられてから、約二千年が過ぎようとしているこん日、またもとの異教徒に戻った人類に福音を宣言しなさい。謬説と悪と罪の犠牲者となって、あらゆる誤ったイデオロギーの激しい嵐にまきこまれてしまったすべての人に福音を宣言しなさい。

 娯楽と金銭、力と傲慢と不潔を拝むためにひれ伏しながら、実践的に神を否定する暗闇に沈んだ世界のすべての民族と国に、福音を宣言しなさい。

 

 

 

聖母から司祭へ1992.3.27

 

―福音がはじめて伝えられてから二千年がすぎたのに再び異教徒に逆戻りしたこの人類に福音をのべ伝えなさい。

 改心して主に戻ることが緊急な必要事であると宣言して福音をのべ伝えなさい。

 人類が自分の手のわざで作った偶像神を破壊しなければなりません。偶像神は、快楽、金銭、傲慢心、不潔、無神論、節度を知らない利己主義、憎しみと暴力などです。

 

 

 

聖母から司祭へ1992.9.15

 

―今は、わたしが人類のゆえに受けている大きな苦しみの時です。それは、人類が悪霊たちによって病み、その奴隷となっているからです。

 悪霊の能力は地上を支配し、どこにでも、その暗闇の支配する悪い結果を及ぼしています。

 贖いの時、そして救いの福音がはじめて宣教されたあの時から、すでに約二千年もの年月が過ぎたというのに、いま人類は、また異教徒にもどりました。

 不信仰と邪悪とが人類をおおい、罪が傷つけ、悪が毒を与え、傲慢心が支配し、不潔はいざない、利己主義と憎しみとは人類を鎖でつなぎ、サタンはいよいよ人類を奴隷化して、その悪魔的な能力をもって支配します。

 それこそ、悪霊どもに支配されているこのあわれな人類全体のために受ける、わたしの大きな苦しみの時です。なぜなら、人類への大天罰の時がすでに来ているからです。

 

―これは、わたしの子らであるあなたたちのための大きな苦しみの時です。

 これらの日々に、あなたたちの苦しみの荷は、なんと重くなることでしょう!

 わたしは、目に涙をうかべて、早くも悪と罪の経験に導かれてしまった子どもたちを見ています。また、社会環境の中でだまされ、裏切られる青年たちを見ています。かれら青年たちは、偽りの価値の影響をうけて、すでに不潔と麻薬の犠牲になっています。わたしは、目にいっぱい涙を浮かべて、分裂され、破壊された家庭を、餓死する貧しい人々を、多くの戦争によって苦しめされ、殺されていく人々を、どんな世話もしてもらえない病人を、捨てられた人、孤独な人、失望した人、悶え苦しむ人々、死に瀕している人々を見ています。

 わたしはこん日、母として、十字架の重荷の下になげく人々ひとりびとりの側にいます。

 わたしは、決してあなたたちを見捨てはしません、あなたたちが最も必要なときに、あなたたちといっしょにいます。

 

 

 

聖母から司祭へ1993.7.1

 

―わたしがあなたたちに任せる使命、それは、福音がはじめて告げられてから二千年が過ぎたのに、異教徒に逆もどりした人類のあらゆる所に、キリストの救いをもたらしに行くことです。

 今の世界に、唯一のあがない主、唯一の救い主イエズスを与えてください。

 

 

 

聖母から司祭へ1994.3.31

 

 主の愛のなさるままに、まかせてください。

 あなたたちは、自分たちのみじめさを見ないで、弱さに失望しないで、自分たちの罪を数えないで、不忠実を思い出さないで、主の愛のなさるままに、まかせてください。なぜなら、イエズスのみ心の神的愛は、人間のどのような忘恩をさえも無限に乗り越えるからです。

 この最後の時代には、どれほど多くの司祭が自分の“おちど”を泣き、怒り狂った悪の力の下に圧迫され、異教にもどった世間の誘いに負けて、わたしとあなたたちの敵の腹黒い“わな”にかかってしまうことでしょう!

 最愛の子らよ、あなたたちが、もし否むペトロ、あるいはうらぎるユダ、または、イエズスを捨てて逃げる使徒たちの態度を新たにしているにしても、今日こそ希望に心開いてください。なぜなら、イエズスは、あなたたちを愛しておられるからです。

 イエズスの愛は、あなたたちの、どんな人間的弱さよりも大きいのです。

 

 

 

聖母から司祭へ1994.5.22 

聖霊降臨祭 ベルリン(ドイツ)

 

わたしの汚れなき心の勝利は、第二の聖霊降臨の偉大な奇跡と同時に実現するでしょう。

そのとき、天から新しい火が降って、異教徒となった全人類を清めるでしょう。

それは、小さい公審判のようなもので、各人は、神の真理そのものの光のうちに自分を見るでしょう。

 

 

 

聖母から司祭へ1994.6.30

 

 わたしの汚れなき心は、この人類の上に勝利を得るでしょう。今、人類は、物質主義の病気で死に瀕する程に快楽と繁栄をさがし求めています。かれらは、神なしに新しい文化を作ったのです。福音がはじめて述べ伝えられた時から二千年が過ぎようとしているのに、またもとの異教徒に戻りました。

 あなたたちは、悔い改めて改心するように説教して、人々を祈りとつぐないの道へと導き、悪魔とそのいざないを警戒させ、悪と邪欲の支配を逃れて、神にたちかえる必要をのべ伝えに行きなさい

 人類よ、あの放蕩息子のように、天の父の腕に戻りなさい。おん父は、愛をもってあなたたちを待っておられます。神と人類の間に新しい深い普遍的な和解が成立することができるためです。

 そうです、あなたたちこそ、すべての人が神にたち戻るための手段となりますように。

 

 

 

聖母から司祭へ1994.9.15 サスカトウーン市(カナダ)

 

 あなたが訪れているこの大きな国が、どれほど堕落してしまったかをみるわたしの魂は貫かれます。

 この国は、以前のように異教的になり、唯物主義と快楽の極端な追及のあまり、その被災者となってしまいました。こうして、神の掟は日ごとに冒され、おびただしい堕胎が、毎日命のたまものを脅かしています。

 あなたは、強い言葉をもって、わたしの限りないこの苦しみをすべての人に知らせなさい。

 

 

 

聖母から司祭へ1994.10.13

 

 清めと大艱難のこの数年間に、あなたたちが経験していることを、わたしはその時に予言しました。

―異教徒に戻った、このあわれな人類が受けねばならない大天罰を、あの時、わたしは予言したのです。

 

 

 

聖母から司祭へ1995.2.2

 

 あなたがたはひどい堕落のこの時を、生きてください。人類は、洪水の時代よりもひどく異教的になっています。それであなたがたは、聖徳の光を四方に放つように召されています。

 

 

 

 

2.マリア・ワルトルタ

 

 

天使館・霊のパン4号・P18

 

あなたたちの先生のように判断するに至るなら、あなたたちの間にも、権力と横暴を、あるいは黄金を、あるいは肉欲を、あるいは彼らの知識への傲慢の偶像を、真のと取り替えた哀れな異教徒たちがたくさんいます。

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/第3巻中/P150/

172・5−7

 

しかしながら(わたしはあなたたちが容易に陥る謬りの危険に気をつけろと言う)信仰において、愛において弱い者たち、真の宗教を知らない異教徒たちのようであってはならず―なぜなら信じる者たちの中にも異教徒たちがいるからで、この哀れな宗教は、迷信と宗教の、ある種のもつれであり、そこにあらゆる種類の寄生植物が忍び込み、粉々に粉砕する寸前の建物だから―弱くて異教徒である彼らは、もし自分たちの祈りが聞き入れられないと見るや信仰が死ぬように感じてしまいます。

(中略)

 

 

 

 

3.スウェーデンボルグ

 

啓示による黙示録解説110

 

『暗黒』に、『死の蔭』に、『暗闇』にいるが、目を主から開かれる者たちが聖言に多くの所で取り扱われており、彼らにより、善い業にはいたものの、主を知らなかったため、また聖言も持っていなかったため、何ら真理にはいなかった異邦人が意味されている。基督教界で業のみの中にいて、何ら教義の諸真理の中にいない者たちはこれらの者に正確に類似しており、それで彼らは異邦人以外の者としては呼ばれることは出来ない。彼らは実際主を知ってはいるが、それでも主に近づきはしない。彼らは聖言を持っていたが、それでもその中に真理を探求しない。『わたしはあなたの住んでいるところを知っている』により彼らの性質を知ることが意味されている、なぜなら霊界では各々の者はその者の情愛の性質に従って住んでいるからである。ここから『あなたはサタンの王座の在る所に住んでいる』により、暗闇の中にある彼らの善の生命が意味されていることが明らかとなるであろう。サタンの霊共[悪鬼的な霊共]は、霊界で業のみにいる者らを通して力を得ているが、しかしその者らがいなくては何ら力を持っていない、なぜなら彼らは、その者らの一人が、私はあなたの隣人です、だから善いことを私に為して下さらねばなりません、と言いさえすれば、その者らを彼ら自身に接合させるからである、すなわち、その言葉を聞くと、彼らは近づいてきて、援助を与えるのである。彼らはまたその者が誰であり、またいかようなものであるかを尋ねもしない、なぜなら彼らは真理を持たないからであるが、しかし真理のみによって人は他の者から区別されることが出来るのである。このこともまた『あなたはサタンの王座の在るところに住んでいる』により意味されている。

 

 

天界の秘義1366

 

教会はその内なる礼拝の中に悪と誤謬とが一つとして残っていない程に剥奪されない中は如何ような国民の間にも新たに発生することはできないのである。その内なる礼拝の中に悪が存在している限り、その内なる礼拝を構成しているところの善い、真の事柄は妨害されるのである、なぜなら悪と誤謬とが存在する限り、善と真理とは受け入れられることは出来ないからである。これは以下の事実から認めることができよう、即ち、何らかの異端の中に生まれて、その誤謬を全く説きつけられている程にも、それを確認した者は、例えその誤謬に反した真理を受け入れるようになるにしても、それは容易なことではないのである。しかし信仰の真理の何であるかを知らないものの、仁慈の中に生きている異邦人の場合は異なっている。これが主の教会がユダヤ民族の間に回復されることが出来ないで、信仰の真理の知識を何ら持っていなかった異邦人の間に回復された理由であった。前の者は、その誤謬により、真理の光を全く暗くし、かくて、それを消滅させてしまうが、しかし異邦人は彼ら程には、そのようなことはしないのである、なぜなら彼らは信仰の真理の何であるかを知っていないのであり、その知らないものを暗くしたりまた消滅したりすることは出来ないからである。

 

 

 

天界の秘義1366[2]

 

新しい教会が今や回復されねばならなかったため、そのもとに善と真理とが植えつけられることの出来る者たちがそれを形作るために取られたのであって、彼らはそのもとで信仰の善と真理との知識が尽く抹消されてしまっていて、異邦人のように、外なる偶像崇拝者となってしまっていた者である。

 

 

 

天界の秘義6637

 

霊的な善の中に、即ち、仁慈の善の中におらず、また霊的な諸真理の中に、即ち、信仰の諸真理の中にいない者は、教会の中に生まれていても、教会の者ではない。なぜなら主の天国全体は愛の、また信仰の善の中にいるからであり、教会もそれに似たものの中にいない限り、それは天界と連結していないため、教会で在り得る筈はないのである、なぜなら教会は地上の王国であるからである。

 

 

天界の秘義6637〔2〕

 

 教会が教会であると呼ばれることは、そこに聖言が在り、聖言から発している教義的なものが在るという事実から発してはいないのであり、また主がそこに知られ、そこに聖典が在るという事実からも発してはいないで、それは人間が聖言に従って、または聖言から発している教義に従って生活し、かくして教義が生活の規定となっているという事実から教会となっているのである。こうした性格を持っていない者らは教会の者ではなくて、教会の外側にいるのであり、悪の中に生きている者は、かくて教義に反した生活をしている者は、聖言については、主については、聖典については何事も知っていない異邦人よりも更に教会の外にいるのである、なぜなら前の者は教会の諸善と諸真理とを知っているため、自分自身の中に教会を消滅させているが、異邦人たちはそれらを知らないため、そうしたことを為す筈はないからである。更に以下のことを知られたい、即ち、仁慈の、また信仰の善の中に生きている者はことごとく主の教会と王国であって、そこから神の神殿、また家と呼ばれているのである。全般的な教会は個別的な教会である者たちから―その者たちはいかほど遠く離れていても、その者たちから―成っているのである。それ故このことがここに、また以下の記事に『イスラエルの息子たち』により意味されている教会である。